みなさま、こんにちは!
先日、連続セミナー第4回目となります中島吉弘先生による講演会についてご報告させていただきました。そこで行いましたアンケートより、ご来場いただきました方からのご質問やご感想に対し、中島先生ご本人よりお応えをいただきましたのでこちらでご報告させていただきます。また、このアンケート報告が大変遅くなってしまったことを、この場でお詫び申し上げます。アンケートにご協力いただいた皆様はじめ、いつもブログを読んでいただいている皆様、申し訳ありませんでした。
これからもSLCVブログをどうかよろしくお願いいたします。
≪来場者アンケート報告≫
◆ 朱色で区別したところが、中島先生からの回答箇所となります。
1.質問 2.感想・その他
Yさん
1.安心、安心とメディアにコントロールされていた私たちですが、これからの未来にそういったコントロールがあるかもしれません。それに対しての対策はどうしたらよいでしょうか? →まずは権力とは何かを知り、批判的思考力を身につけることですが、そのためには「方法的懐疑」を活用しながら、多角的にかつ総合的に考える、学ぶ訓練が必要となります。情報の収集や準拠するメディアも多元化し、日本語以外の言語(例えば英語その他)を習得して外部からの視点と情報を採り入れ、判断に活用することではないでしょうか。その際、いうまでもなく、インターネットは大きなツールになります。いずれにしても、原理主義的な思い込み=先入観や偏見から解放さる、つまり自由になる文字通りのリベラル・アーツ(自由技芸)の学びが不可欠になります。
2.とても貴重なお話ありがとうございます。先生から聞いたことを父・母・友人にも伝えていきたいと思います。ありがとうございました。→こちらこそありがとうございます。
Sさん(総文)
1.(なし)
2.私も先生のお話を今まで拝聴させて頂きました中で、原子力は有るべきではないもの、有ってはならないもの、利用してはならないものだと思いました。貴重なお話、有難うございました。本日のお話に限った事ではないのですが、今回も私は考えを改める事が出来ました。→私の講演をきっかけに、これからは自立的に考え、様々な他者と協働していってください。
Eさん(LA)
1.(なし)
2.中島先生のお話を久しぶりにお聞きすることができてとても良かったです。先生が今まで考えていらしたことが露呈した出来事であったと私は原発事故を考えていました。今まで予期・懸念されてきたことが、様々な犠牲をともなって原発事故として現れた。より便利に、より楽に、より安く…それを求めてきた我々人類が、本当の意で、この3.11を忘れないということとは、この問題と真に向き合うことなのではないかと思います。「あるいはやはり学べないのか」という可能性・恐れもあります。それが今後どんな形で、私たちにはね返ってくるのか、考えただけでも恐ろしくなります。先生、今日は不吉な予言、ありがとうございました。自分との闘いでもあるのですよね。頑張ります。→その通りであると私も思います。絶望的状況の中でも、最悪の事態を想定し回避するための「予防原則」を活用しながら、より真っ当なよき社会への希望を持って歩んでいきましょう。
Tさん(LA)
1.(なし)
2.先生のお話を聞いている間、震災からの原発の様子や、今でも福島に帰れない方々(これからも、と言った方がいいのでしょうか)のことが頭の中をぐるぐるしていました。人間は本当に酷いことをしてしまった、と。私は母親になることが夢の中の一つです。しかし、人間が増えたことが事の始まりであり、人間がいることが自然を破壊し、過剰に多面で成長し今回の原発事故をももたらした、と考えると夢を踏みとどまらねばならない。又、放射能の被爆の影響など、このリスクの中で子どもを生むということはその子の人生の責任をとれるのか、と未来に希望はあるのかなぁと最近真剣に考えていました。人がみんないなくなったら良いのでしょうか。→この地球上から、人がいなくなって良いはずはありません。存在と命を贈与された私たちの天寿天命を全うするに相応しい文明・社会を創造し、作り上げなくてはなりません。
専門家的知識はわかりません、科学もほとんど勉強していません。しかし、この震災で多くの命が奪われたこと、今もまだ避難されている方がいること、原子力は手におえないこと、このままでは日本の大事な土、作物、自然がだめになってしまうこと、これらは動かぬ事実であり、専門家でなくてもわかります。私たちはこの震災を無駄にしてはいけません。自分の心にも命じ、これからも進んでいきたいです。→まったく同感です。動かぬ事実をねじ曲げ、素人とみなされるわれわれ民衆に対して平気で原子力を正当化してみせる御用学者・似而非専門家の知識などは、そら恐ろしく、まったく信頼できないことが3.11で明らかになりました。
Mさん
1.最後の二つの質問は重要だと思います。そのためのいろいろな意味での教育は必要だと思います。→私は、3.11を経験して以後の大学は、己の責任と反省を踏まえ、変わらなければならないと思います。われわれの眼前にある疑問の余地なき人類的危機に応答しうる大学のレゾンデートルを再考し、作り上げなければなりません。
柴田さんの3つめの質問も重要だと思います。既に後世の人々も核に対応しなければならない現状があると思います。 →同感です。
2.大変勉強になりました。ありがとうございました。
ps.下から7行目は科学も技術もということで良いでしょうか。→ご指摘の箇所は、レジュメの1頁、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』、「古来、進歩思想という・・・・」の部分を指しているものとしますと、「科学も技術も」含めて理解するのが妥当であると思います。なお、同書では、フランシス・ベーコンの哲学・思想をはじめ、近代の科学技術を積極的に生み出してゆく啓蒙思想もギリシャ神話にまで降り立って、人類史的見地から吟味されています。例えば、マナや呪術・魔術から諸神話の成立、ギリシャ神話や一神教の成立、キリスト教の中世教父哲学から近世・近代哲学への推移の文脈から、科学と技術を精神史的に位置づけ、分析し、吟味しています。
Sさん(LA)
1.「根源的に贈与されてある所与の生ける有機的な野生な自然」という概念の起源はどこでしょうか? →この概念は、私なりの問題意識もあって、以前から考えている自然観を言い表したものです。うまく圧縮できないので、このように書いてしまいました。一部は、梯明秀や鈴木亨、メルロ=ポンティの最晩年の存在論などから影響を受けていますが、それだけではありません。
ハイデッガーの「存在」概念とヨナスの違いはどこにあるのでしょうか?→ハイデッガーの「存在」論は、西洋形而上学の歴史の中で避けがたく忘却されてきた「・・・がある」(事実存在)への実存論的な問いに特質があるように思いますが、ヨナスの場合は、ナチに加担したハイデッガーの存在論からの離反の中で、生命、意味、精神、目的を自らのなかから生みだしてゆく存在を探求した点(=ヨナスの言葉では、生命の哲学、生命の形而上学の試みということになります)に、特質があり、私は人類のこれからの哲学として深い意義があるのではないかと考えております。
2.とても勉強になり、ありがとうございました。→こちらこそありがとうございました。機会をつくって、嶋田先生のパネンベルグやハイデッガー、ヘーゲル研究から、対話などを通して学ばせていただければと願っています。
匿名(LA)
1.核エネルギーの利用は過剰合理性のものであり、邪悪なものだとおっしゃっておられましたが、もし、核エネルギーが無かったとして、先生は他にもそのような科学はこの世にあると思われますか。→私の見地からは、iPS細胞の作製や操作に国家をあげて邁進しつつある現下の生命科学の動きが特に気になっています。例えば、現代の生命科学はもはや物理学と化しているようにすら思えます。生命操作をめざす強い欲望にそれがよく現れているといえないでしょうか。あるいは、脳科学やサイボーグ技術にも、おなじような危機感を抱いています。
2.とても興味深いお話でした。経済リスクとか専門的なことを抜きにして、核エネルギー利用の意味を考えさせられました。ありがとうございました。
Hさん (LA)
1.原子核を前提とした、ミクロなレベルとは異なる動きをする人間という存在が、原子核をあつかいエネルギーを取り出す。これはどういうことなのか。→超越的見地から見れば、人類は出現した約700万年前の初発から、ある種の自滅性=反自然性を刻印されている特異な自然存在なのかもしれません。そうであれば、この事実を私たちはどう引き受けたらよいのでしょうか。この問いは、人類史にとって根源的かつ普遍的な課題であり、例えば宗教や道徳の次元において、すでに様々な応答の試みがなされてきたと思われます。
↑は意味のない質問ですが…。
意味を捨象された客観的事実としての自然、操作の対象としての自然ではなく、意味を持つ、捨象される以前の、言ってみれば宗教的自然を再度発見すべきなのではないかと思いました。
2.合理性の追求が行き過ぎることで非合理性につながってる。というのが興味深い。
匿名
1.とても貴重な時間でした。原発に対する知識だけでなく、人間の本性という所から現状を分析されていた点には学ぶことが多かったです。まだ自分の知識が足りないが故に原発に対する個人的な意見というものを持てないでいるのですが、脱原発と聞いてすぐ考えることは、では他のエネルギーで足りない分を補うのか?それは何なのだろうか?という疑問が上がりました。また、原発という選択が資本主義社会の中で経済成長を目指し続ける選択であるなら、日本社会が向かう方向性、ビジョンのようなものが他にあればその選択は取らなくてもいい気がするのですが、そのようなものはあるのか?また、それを目指すのに必要なことは何か?という疑問も沸きました。→まさしくその問題は、3.11以後、鋭く問われているのではないでしょうか。そういう意味では、今こそ、従来の近代文明に代わるよりまっとうな新たな文明を構想するチャンスと考え、実践し学ぶことが決定的に重要であるように思います。そのなかで、ここに示された疑問やめざすべき目標・目的にとって必要となるものが自ずから明らかになってくるはずです。