崩れゆく空中楼閣 | 珈琲にハチミツ

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橋本と長州に話を戻します。


90年代に最高の状態を迎えた新日本プロレスですが、最高というのはこれ以上高みがないということ。あとは坂道を下るだけです。


まず2000年に橋本が飛び出し翌年ゼロワンを旗揚げ、続いて2002年に武藤、長州らトップ格が続々と退団。紐付きの中堅選手もぞろぞろ出ていったため新日本は一気にガタガタとなってしまいました。


一方で飛び出した橋本、武藤、長州らは順風満帆だったかというと…実際はそうでもなくそれぞれが一枚看板としてなんとか大会場のビッグマッチを乗り切っていく有り様で、全盛期を過ぎたコンディションを痛めつける日々。マット界の不況も相まって自転車操業的な団体経営に追われる辛い事態に陥っていたのです。


あけて2003年、この三者が対抗戦という名の交流延命策に舵を切ったことに運命の皮肉を感じます。中心にいたのは橋本のゼロワン、旗上げ当初とはだいぶ趣が変わってきましたが、全日本プロレスやWEWとの二方面外交を続けるかわたらで怨敵長州が率いるWJと戦端を開き、さらにハッスルと多方面外交の極みとなった12月14日のビッグマッチ。結果的にゼロワン最後の札止めとなった両国国技館大会です。


…開戦前、WJ内部では長州と永島の間で論争があったといわれます。密かにアントニオ猪木に相談を持ちかけて対抗戦の内諾をもらっていたといいます。永島曰くWJには新日本と因縁を含んだ選手を大勢抱えるので団体にとっては起死回生のチャンスとみていました。しかし永島の皮算用とは裏腹に長州が選択したのは新日本ではなく橋本真也でした。


ようやく長州力と肩を並べた、見方によってはあの天下の長州力に力を貸せる立場になったのでは…と意気揚々たる橋本は、離脱者が相次ぐWJに対しても対抗戦を継続する方針「根絶やし」を打ち出し全力で対抗戦を盛り上げます。


しかし、この一戦のみが話題を呼ぶにとどまり、打ち上げ花火の対抗戦となった感は否めません。


そして広げすぎた屏風は倒れやすいという言葉通りに翌年ゼロワンはあっけなく崩壊。


結果的に勝者なき個人闘争となった橋本と長州の物語…橋本がいち早く世を去ることでこの物語にはピリオドが打たれることはありませんでした。