楽園ベイベー | 珈琲にハチミツ

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誰にでも故郷とは別に水の合う土地は存在する。

かつて、鈴木みのるは現在の姿からは想像もつかないほど半病人のような顔つきでリングに上がっていた時期がある。ケガによる欠場と復帰を繰り返し、パンクラスの若手相手に敗戦を重ね続けるロートルレスラーに成り下がっていたのだ。

しかし転機は訪れる。2002年11.30横浜文化体育館での獣神サンダーライガー戦。

この一戦を機に新日本プロレスへみのるが活路を見出したのは有名だが、話はその少し前に遡る…



戦前にみのるは静岡だか山梨の何村(みのるの記憶も曖昧らしい)の富士川の最上流部の山小屋で2週間ほど合宿を張る。

※そういえば最近ビックマッチ前に合宿を張るレスラーが減った気がする……

みのる「メシは自炊です。そうそう合宿の最終日に村の人たちが色んなものを持ち寄ってくれたんですよ。鹿の足とか。それを切って鍋にして食って「これ買ってきたんですか?」「いや、そこで獲れた。」なんて(笑)

朝はキャンプ場まで走って帰りは川を遡って歩く自然のトレーニングをずっとして、昼から廃校になってる中学の体育館でボールを使ったトレーニング。夜は小学校の温水プールでプールトレーニング…

そうしたら体重がどんどん増えて行くんですよ。普通に食べているだけなのに水が合うっていうか、だから体調がよくなったんでしょうね。生き返りましたよ。」
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参考文献/風になれ

若干趣きは違ったようだ(;^_^A


…話は内藤に戻りノーリミット時代、アメリカTNA、メキシコCMLLを共に渡り歩いた高橋裕二郎はこうあの頃を振り返る。
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裕二郎「アメリカは1月から5月くらいまでで、当時タマ・トンガがよく遊びに来たんです。ビーチに行ったりクラブ行ったり、「内藤はこないのか?」「行かない」ってノリ悪いな…みたいになって(笑)

5月の終わりからメキシコに行って、あの時はよく出歩いてましたね。彼は宿にいることが珍しい。アメリカであれほど出不精だったのにメキシコだとほとんど宿にいない(笑)」

実はその時一緒に行動していたのがBUSH
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BUSH「あの時は毎日一緒に行動していたんじゃないかな。最初は嫌がってたんですけど1ヶ月しないうちに馴染んで、振り返ると今をとりまく仲間たちがいたし、アレナ・メヒコ、ルーシュ、デイアマンラとかそいつらがまだ若手の頃内藤とつるんで一緒に遊びに行って、その影響が大きかったと思いますよ。」

内向的で知られる内藤が?もしかすると日本人よりもメキシコ人の方がウマが合っていたのかもしれない。

そしてリング内でも遠征初日の試合で対戦相手をスターダストプレスで担架送りにし強烈なインパクトを残した内藤はトップに抜擢される。

格を重んじる日本のマット界と違い、メキシコのマット界では過去の実績よりも現時点での評価で選手の扱いを決めるという。内藤にとって日本よりもノビノビできる環境であった。

内藤「メキシコに行って4ヶ月くらいでメキシコ人を坊主にしたんです。(アルナ・メヒコ)日本人がメキシコ人を坊主にするのはサトル・サヤマ(!)以来30年ぶりの快挙。凄く騒がれましたね。その時点でメキシコでのポジションを確立できました。」



2015年、日本で居場所を失っていた内藤は最後の望みをかけてメキシコへ帰還。

新聞にはこんな記事が。

「内藤がメキシコに帰ってくる!」

メキシコは内藤を見放しはしなかったのだ。そこで待っていたのはかつて若手時代を過ごした仲間との充実した日々。そしてロス・インゴベルナブレスへ加入を果たす。

類は友を呼ぶ?インゴベルナブレスのオリジナルメンバーであるソンブラもルーシュも結成前は、ルードではないのだが何故かブーイングを浴びる存在であったという(;^_^A


内藤「俺はこれで勝負するって決めたから。それにとにかくメキシコに行っていた1ヶ月は楽しくてしょうがなかった。もちろん覚悟は決めて持ち帰ったけど、いい方に行くことしか頭になかったし、それしか考えられなかった。」

もう周りを気にすることは止めた。迷いを振り切った内藤はついに「自分自身」に焦点を当てはじめる。そして自分が信じてるいことで戦う決意をする。


6月、内藤帰国。。

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続く