のはかなわぬ初夢だったようで、ただの接待試合に終始したジェフハーディ戦。Tシャツも脱がなかったし勝つ気がなかったのかな?と不穏な幕開けをかざった2011年の内藤。
「あんな中途半端なやついらねぇ!」内藤談
が内藤はけっこう淡白(;^_^A
だが、2.20仙台サンプラザにて壮絶な返り討ちにあう。しかも、敗戦と同時に後藤批判をピタリと止めてしまい一体どっちが中途半端なんだ?ところ頃から内藤に「?」がつきはじめる…
素晴らしい試合もあった。2度目のG1にして決勝進出を決めた試合である。
「短い時間で試合をスパッと締めるのが一番難しいし頭を使うんですよ。まぁ楽しやがって…なんて文句を言う先輩もいましたけどね(苦笑)。」
秋山準談
しかし、すんなり優勝とはいかない。相手は長年に渡る探求を経て、全てを解放しクネリの境地に達した男中邑真輔が待ち構えていた。
雀鬼こと桜井章一との出会い以降、中邑は古武術、合気道、カンフー等あらゆる格闘技を取り込んできた。特に体捌きには注意を払っていたようで、脱力、摺り足、軸を制する動き、そして…
「常に動き続けことで体の軸が安定してくる、駒のように」中邑談
その境地があのクネリかよ(´・Д・)」!?
※個人的には3戦目の中邑天山戦がベストバウト!
その中邑真輔になす術もなく敗れ去った内藤。実はその3ヶ月前に、以後のファイトに暗い影を落とす出来事が起こっていた。
5月、プロレス観の食い違いを理由に裕二郎から三行半を突きつけられ、chaosからも追放されていた内藤。が当初そんなに影響はないだろうと思われていたー内藤はシングル志向だったし、新日のタッグ戦線も停滞気味だったーが、2017年の今振り返ってみてわかったことがある。
この頃からだろう、内藤は心の支えを失っていたのだった。
名レスラーの隣には必ず名パートナーありと言われるーアントニオ猪木に坂口征二、長州力にマサ斎藤、天龍源一郎に阿修羅原ージュニア時代からタッグを組み、アメリカ〜メキシコを共にくぐり抜けた盟友を失った内藤。
全てを一人で考え、請け負い、実行する。これは肉体的にも精神的にもけっこうきつい。
我が強く、協調性もなく、一匹狼が強いと(本人も)思っていた内藤だがその実はその正反対の性格だったようだ。
続く