内藤哲也、高橋裕二郎(ノーリミット)の凱旋帰国試合
2017年現在、新日本プロレスを席巻するロス・インゴベルナベブレス・デ・ハポン筆頭内藤哲也。7年前のドームから知るファンはどんな気持ちで今の内藤を見てるのだろう。
舞台は2010年1月4日東京ドームしかもタッグタイトルマッチ、にもかかわらず入場の声援は0、タイトル奪取の瞬間もまったく盛り上がらず…お通夜のような試合だった。
タイトル奪取後
個人的に思う内藤にとってこの7年間は、20年分ぐらいに感じるほど紆余曲折、悪夢のような時間だったのではないだろうか?
とりあえずはこの7年間を記憶の許す限り振り返ってみたい。。
話はまず2010年から、ドームでこけてもなんのその。日本定着後ひとまずchaos入りした内藤・裕二郎はバーナードアンダーソン組や永田井上組と抗争を展開しながらメキシコで開花したといわれる実力を遺憾なく発揮していく。
そして3月、ニュージャパンカップで内藤は一気にオーバーする。エース棚橋弘至をスターダストプレスでピンフォール。続く準決勝では破れたもののトップ戦線に一気にくいこんだ印象を周囲にあたえた。
そして内藤には雰囲気だけじゃなく確かなレスリングで勝負できる技術を持ち、常に何か余裕を残しているかのような飄々としながらも頼もしさも感じられた。
「プロレスは体格じゃない、ココ(頭)で勝負するもんでしょ」内藤談
10月に棚橋からリベンジを許しても…
「壁?全然感じないよ。勝負は時の運だからさ。」内藤談
コメントからも余裕が伺える。ただG1の戦績はパッとしなかったが…ともかく、こんなクレバーな選手を待っていたのだ。ずっと。
そして年末、2011年ドームの相手はTNA世界チャンピオンのジェフハーディ。団体の期待値も並でなかったのとはこのカードを見れば一目瞭然だろう。
★続く★