この2年間、日本マット界で大きな消失が続いた。武藤敬司の引退とオカダカズチカの海外移籍である。
とうとう華のあるレスラーがいなくなってしまった。
プロレスにはまり出した時の私は小学6年生。ちょうど新日本とUインターの10.9決戦が終わった後ぐらいでなんとも惜しいタイミングだったと思うが、当時は90年代プロレスの成熟期で今思えばまだまだ贅沢な時代だったと思う。
私は田舎暮らしのためプロレスに触れる機会はなんといってもテレビ。だが中継は深夜放送で、わが家は夜更かしが禁じられていたため、録画しておいて翌朝ドキドキしながらブラウン管に向かっていた。(試合へのドキドキもそうだがもうひとつ、当時のVHSビデオデッキは毎回録画したい日付と時間を手動入力しないと設定できなかったのでちょっとした間違いが命取りになる。あと野球中継などの番組延期…当時の録画とはスリリングな行為であった。)
小学生から中坊となり高校へ進学していくなか、学校にはプロレス好きな友達が必ずいたものだったが、私にとってプロレスは友達とわいわい見るものというよりか、おじいちゃんとおばあちゃんと畳敷きの茶の間で静かに見るものであった。特におじいちゃんは大正生まれのモロ力道山世代、父が子供の頃は昭和プロレス全盛のゴールデンタイム中継を見てきただけあって目が肥えていた。試合中や試合後に試合や選手を評するおじいちゃんの価値観は今の私の礎になっている気もする。おじいちゃんの好みはとにかく勝つ選手、強い選手だった。特にお気に入りは橋本真也だったが小川直也にコロコロ負けだしてからは柔道に対する上位概念もあったと思うがいつの間にか小川に鞍替えしていた。
私は勝手にテーマを設定して今でいうマイリスト再生なるものを繰り返していたのだが、リピート率が高かったのは橋本と小川の抗争。橋本の栄光と没落そして復活劇は普段のんびりした茶の間を熱い空間へと変貌させてくれた。それも何度も。一方おばあちゃんは勝ち負けというよりも豪快で分かりやすい選手が好きみたいで、やはり橋本真也を推していた。存在感のある迫力のあるプロレス…また私は地元によく来るみちのくプロレスを観戦していたが(時々新日本もきていたが)、特に田舎だからか会場にはお年寄りと子供が多い。あと小太りで眼鏡をかけたオタクっぽい人。今のように女子や若者の姿は皆無だった。時代は変わった。振り返ってみるとあの独特の光景が懐かしい。
時が経ち、おじいちゃんが亡くなって茶の間も畳敷きでなくイステーブル仕様に様変わりした。私は社会人となり地元を離れたが、時折実家に帰っては録画したノア中継と過去に録画した試合をおばあちゃんと二人で見ていた。新日本が暗黒期を迎えてしまったので仕方がない…と思いきや徐々に盛り返しをみせ、オカダカズチカが誕生した。おばあちゃんはオカダが好きだった。大阪でのIWGP初戴冠から柴田勝頼との両国決戦まで、よく見ていた。オカダのドロップキックが決まるたび目を細めながらうわァーと喜んでくれるおばあちゃん。ここに私のプロレス観は定まったと言っていいだろう。
プロレスとは子供からお年寄りまで楽しめるものだ。
…今でもワールドプロレスは地上波版とBSのリターンズは毎週録画しているし、専門誌も目を通しているがどこか惰性だ。おばあちゃんもいなくなってオカダも海外へ移ってしまった。今私の心を打つのは過去の試合ばかり。「それでいいのか?」いやそんなことないぜ!って強引に振り向かせてほしい。やっぱりプロレスが好きなのだから。