ちこっと懐古録6 | 帯ひろ志の漫画放浪記Powered by Ameba

ちこっと懐古録6

連載が終わり、漫画浪人になったボク。

幸い、打ち切られたものの、作品自体は1冊のコミックスを出してもらえる事に。
けど、仕事をしなければ食べて行けない。

必死で営業を始めた。
実は連載前イラストやカットの仕事をやっていたが、ここが勝負時だと感じたボクは
すぱっとそれらの依頼を全て断り、ネームアタックを仕掛けて最後の踏ん張りを
掛けたのだ。

なので、以前断った所に、また仕事を下さいとは言いにくい状況に成っていた。

そんな時、友人がボクと入れ替わりに連載を始めたので、アシスタントに使って貰える事に。
そして、連載前から気に掛けてくれていたジャンプ編集部に入っていた編集プロダクションの人から
ちょくちょく仕事を貰える様になっていたのだった。

そしてまた、ジャンプ持ち込み仲間から仕事を紹介してもらえる事も。

ライバルであっても同じ世界に生きる同士と言う絆を強く感じる様になったのはこの頃だったと思う。

ある日、マガジンでデビューしていた友人が、知り合いが編集する本があるから一緒に
描かないかと誘ってくれたのだ。

新宿の地下にある喫茶店、アマンドでその人は待っていた。
蛭子神健氏である。

絵を見せると、即座に描いてくれと頼まれた。
こうしてボクは描いた事の無い、未知の領域「エロ漫画」の世界に入って行く事になる。
ジャンプでは何度もネームの推考を繰り返し、ほとんどが没。
ところが、ネームはおまかせであると宣言される。

正直ビックリした。
チェックが無いのである。
自由と言えば聞こえはいいが、制約のある中で描く方が飛んでもなく楽である事を
思い知った瞬間であった。

おまけにジャンプを打ち切られたばかりで、自分のネームになんの自信も無いのである。
エロ漫画を描く事に抵抗は無かった。
当時でも、よく周りではエロ漫画の世界に行ったら少年誌の世界には戻れないなんて
話はあったが、食う為に必死で、そんな事を考える余裕は全く無かったと言うのが本当の
ところだ。

そして手探りの執筆作業が始まった。

つづく。