流しのアシスタント | 帯ひろ志の漫画放浪記Powered by Ameba

流しのアシスタント

これはまだデビュー前の話。

イラストなどで稼いでいた事は書いたと思うけど、その他に編集部の依頼で不特定の先生の手伝いに良く出かけました。
まあ、流しのアシスタントです。

色々な先生に出会え、また勉強になったり変な癖を見つけて面白かったり、困ったり(笑)

ある時の話です。
あるところでアシスタントを終えた僕は、編集さんの頼みで連続で次のアシスタント先に行く事になった。
場所は名古屋。
すでに夜も遅かったので、翌日の新幹線で行く事に。
いったん家に帰る手もあったが、朝早くに新幹線に乗らなければ成らないので泊まるところは無いかと思っていたら、集英社近くの「ホテルきんゆう館」に行ってくれと編集さんは言う。
この「きんゆう館」(ご免なさい、古い話で漢字を忘れてしまいました。)と言うのは、漫画家が良く缶詰めになるホテルの事である。
今はこのホテル、地域の再開発で無くなってしまいました。

きんゆう館に到着すると、そこには缶詰めになっている漫画家さんが(笑)
アシスタントさんも交えて数人は居ました。
その部屋の隅を借りて、睡眠をとる事になりました。
しかも、布団は先生やそこのアシスタントさんが使うと言うので、余っているマットレスで僕は眠りました。
横で仕事をしているので、気になって眠れないかと思いましたが、僕も今までほぼ徹夜でアシスタントをしてきたので、あっさり熟睡。
しかし、これがまずかった。
後悔は名古屋に着いてから思い知る事に。

初めて伺う名古屋の先生の仕事場は、結構田舎で、周りにお店の気配も無い田んぼが広がる田園地帯。
そこの平屋の1軒家が先生の仕事場でした。
到着すると編集部で知りあった同じ立場のアシスタントさんが居ました。
先生は別の部屋で原稿を執筆。

実はこの先生、仕事中に外部の音が聞こえると全く仕事が出来なくなる、かなり神経質な先生。
アシスタントの一人が、数時間置きに先生の部屋に仕事を受け取りに行き、その指示に従って作業をすると言う、まったく隔離された状態の仕事場でした。
そして、最初の指示をチーフのアシさんに聞いていた時です。
腰に激痛が走り、へなへなと床にへたり込んでしまいました。

そうです。
やわらかいマットレスの上で寝たのが原因でしょうか、生まれて初めてぎっくり腰になったのです。
そこのアシスタントには二泊三日居たのですが、その期間はまさに地獄。
腰の痛みに耐え、脂汗を流しながら仕事に没頭したのです。

そこで、もう一つ辛かったのは食事。
アシスタントに行けば、食事の時間ぐらいしか休憩時間はありません。
が、しかし、この先生見事に食事を取らないのです。

当時、腰の痛みの記憶が強くてハッキリと覚えては居ないのですが、この二泊三日の仕事中まともな食事を取った記憶は2回。
兎に角、うっそーーーーーん! と、思ったのは覚えている。

あまりの腹減りに、帰りの新幹線の中でうな重のお弁当をむさぼり喰ったのを思い出します(苦笑)

翌月もその先生からまた名古屋に呼ばれましたが、腰の状態が思ったより良くなく、お断り申し上げました。
その後、腰の痛みが取れるのに3ヶ月。
兎に角トイレにしゃがむのが辛かった記憶ばかりが残っています。

えっ、僕は食事はちゃんと出すかですって?
もちろん。
貧相でも必ず食わせます(笑)
と、言うか結構食事に気を使っている先生は多いんじゃ無いかな。
中には豪華な食事で釣って、アシスタントを逃がさない様にしている先生もいます。