認知症?

家の中は、相変わらず衛生状態が悪く、
家中、物が高く積まれていた。
 
 
 
 
鍵は、開いていた。
しかし、家には誰もいない。
 
 
 
早速、父に電話。
 
 
 
「どこにおるん?」
「今、病院来とる」
父は、持病の通院に行っていた。
「お母さんは?」
「家におるやろ?」
「おれへんで」
「ほなその辺行っとるな。オレを探し回っとる」
「その辺って、、、玄関、鍵、開いてたで?」
 
 
しばらくすると、泣きながら、なにかを言いながら母が帰ってきた。
 
 
 
「来とったん」
「来るって言ってたやん」
「わかっとる」
「どこ行っとんたん」
「お父さんがおらへん・・・おらへんのやわ・・・」
「お父さん病院やって」
「またそんなん行って!お金がないて言うとんのに!もうお金なくなるわ!」
「病院行かんとほっといて、体悪くする方が、結局余計お金かかんで」
「お金ないんやわ・・・お金ない・・・。この家も出ていかないかん・・・」
「出てくん?」
「いつかは出やないかん!自分の家やないんやから!お金ないんやから!家賃払えへんのから!」
「引っ越すのもお金かかんで。ここより家賃安いところなんて、ないで」
 
収入が低いということもあり、実家の家賃は下手すれば
我が家の外食1~2回分程度の金額になっていた。
 
「ここもなぁ、あんたらが落書きしたから、消さないかん。出てかなあかんのに・・・お金ないのに・・・・」
壁には、私たち兄弟が幼い頃にクレヨンで描いた落書きが残っていた。
 
 
 
 
 
「・・・体、大丈夫?」
「もうあかん。頭おかしなってしもた。脳梗塞になってしもた」
「だーかーらーさ、病院行ったん?」
「行けへんわさ!お金ないのに!」
「脳梗塞かどうかは、病院でお医者さんが決めるんやで。自分で決めれへんで」

「病院なんか行けへんの!お金ないて言うとんのに!」

 

 

 

とにかく、ずっとこんな感じ。

どの角度から聞いても、お金がないと嘆くばかりで、話がかみ合わない。

 

 

「・・・煮物、持ってきたよ。柔らかいものなら食べれる?厚揚げと、サトイモ。柔らかいで。歯ぁなくても食べられるで」

「いらんわ!食べれへんの!」

 

ほっておくと、食べていた。

 

 

これは、一緒にいるのはしんどいだろうな・・・

 

 

 

いつからこうだったのか。

基本的には、何も変わっていない。

昔から言うことは変わっていない。

 

 

 

でも、何か、この状態は、

越えたくなかった、ある一線をこえてしまっている気がする。

「〇〇市役所です」
「すみません、介護についてお聞きしたいのですが、、、」

何をどうしていいか、わからないけど、
分からない時は、ネットで調べるんじゃない。
そんな時間は勿体無い。
さっさとプロに聞く。

どうすればいいか、わからないけど、
何とかしたいと困っている人を
全力でサポートしてくれるのが、役所なんだ。



状況説明し、紹介された機関へまた電話し、また同じ説明をする。
そして、地域の支援センターの方に来ていただく手はずを整えた。


「来週行くわ。ほんでな、市の人も来てもらうようにしたわ。私が行くときに必要な手続きはまとめてやろう。
私も状況見てないからなんとも言えんけど、
大したことなくて、無駄足やったらそれでえーやん。」


この時は、本当にそう思っていた。




しかし、
状況は、思っていたより悪かった。


きざし。

ちょっと、様子がおかしいな?


そう思うようになったのは、半年ほど前からか。


まず、これまでほとんどかかってこなかった電話が
母からかかってくるようになった。



そして、言うことがおかしい。

以前から、つじつま合わないなーとか
ちょっと支離滅裂だなーということは普通に多かったけど、


ちょっとじゃなくなってきた。



早朝6時前にかけてきて、
「忙しいのに電話してごめんなぁ、、、ごめんなぁ、、、」と、めそめそされたり。




「歯が痛くて、、、」
「歯医者行った?」
「入れ歯を作ってもろてるけど、合わなくて、痛くて、、、」
「それは、お医者さんに言った?」
「よう言わん」
「言わないと伝わらないよ?」
「そやけどなぁ、、、。いいですいいですって言うてしまうんやわ、、、」
「ご飯、食べれてる?」
「よう食べん。」
「何食べてるの?」
「カロリーメイトとか、、、」


こんな感じの電話が
月に一回くらいかな?かかってくるようになった。


子どもというものは、薄情なもので。

いや、、、その言い方はズルいな。
私は、まぁ薄情なもので。



電話を受けているときは、大丈夫かなぁと心配はするものの、
電話を切った瞬間、遠くの親より目の前の現実。
仕事と、我が子と、自分の生活で手いっぱいで、
すっかり親のことは頭から追いやっていて。



できたら、自分達でなんとか上手くやってくれないかなぁと思いながら、やり過ごしていた。







そして、また早朝の電話。

「お母さんなぁ、脳こうそくになってしもた。もうあかんわ。」
「えっ?ホンマに!?大丈夫?」
「もうあかん。頭おかしなってしもた」
「...どうして、脳こうそくになったん?」
「お父さんに殴られたんやわ」
「・・・お医者さんに、脳こうそくやって言われたん?」
「行ってないんやわ」
「病院、行ってないってこと?」
「行けへんわさ」
「・・・・。
・・・・あのさ、病院行ってへんのに、何で脳こうそくやって分かったん?」


それから支離滅裂なことを繰り返し。
「とりあえず、病院に行かんと、脳こうそくかどうかは分からんと思うよ」

と言って切った。




何かが、限界にきている気がする。


そして、父からもSOS。

「いっぺん、来てくれへんか・・・」



ああ、なんとかしないといけない時がきた。
私が動かないといけないんだな。
できるのは、この家族で私しかいない。



「来週、行くわ。」


私がわざわざ遠方から行くからには。
ただ、愚痴を聞いて終わりじゃ意味がない。

この事態を前に進めなければ。





スケジュール帳を開いて、
実家のある自治体の市役所に電話をかけた。
少し早い桜が満開。


母が入院して、2か月。


家族は誰も面会できないまま。させてもらえないまま。



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今年も、桜は変わらず綺麗に咲いていて。


私は、7年ぶりに、以前は仲の良かった妹と再会しました。



汚部屋を片付けたのをきっかけに
家族の間で色々な膿が出て。


仲の良かった妹とも会わなくなり。


きっと、次に会うのは、両親に何かあった時だろうな、とぼんやり思ってはいたけれど。


うん、ホントにそうなったな。



会わない間に、お互い2人目の子供が産まれていた。



ホントに、なんて巡り合わせだろうと思えるほど、不思議なタイミングが合って、
また話ができて、 

会わない間に妹に買いためていた、
旅行のお土産をまとめて渡せた。
(生ものじゃないよ)


会うこともないかな、と
途中から、買うのをやめてしまってたけど、
やっぱりこうして会えた。


もっともっと旅行行ってたのに。もっと買えたのに。
ちゃんと買っとけば良かったな。



こんな風に、後から思っても、仕方のないことが
人生って、たくさんある。


母は、いつもいつも、何に対しても、その時やるべきことをやらずにいて、
後から後悔する人だった。


これからは、ちゃんとお土産を買おう。



母は、あと1カ月で今の病院を出なければいけない。

その先は、施設に移る予定。

まだ、70代になったばかり。
先は長い。



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母を今の病院に入れると連絡があった時、
私は、長男の中学合格祝いの旅行中。
新幹線の中だった。

お久しぶりです。

 

汚部屋脱出子です。

 

 

汚部屋との交流を断って、

年に一度の安否確認のみのつながりになり、

 

兄妹との交流もなくなり、

 

 

私は、私が築いた新しい家族との生活を大切にし、

かわいいかわいい下の息子も生まれて、

 

仕事したり、学んだり、旅行したり、飲んだり食べたりしながら

日々を営んでいました。

 

 

 

 

そんな日々でしたが、少しだけ変化がありました。

 

 

 

 

一言で言うと、

 

 

 

母を精神病院へ強制入院させました。

 

 

 

汚部屋を片づけてから7年。

 

 

母は、70代を少し超えたところ。

 

 

 

ショックとか、どうして、何とかできなかったのか、とか、そういう気持ちではなく。

ああ、こういう道に来てしまったのね、という感じとういか。

 

 

 

大丈夫。

 

もう、私は汚部屋に巻き込まれることはないし、

私は、自分の大切な人たちを守りながら、

淡々と、娘としての務めを果たし、

心を落ち着けて、一つ一つ対処していこう。

 

 


また、少しずつ少しずつ、書いていこうと思います。


まだ、家族も面会できないしね。


ひとまず、ここまで。

 

汚部屋脱出子でした。