横浜、東京から行くことが多かったから家から向かったら電車間違えた。遅延もしている。
ワールドワイドトークライブ
セスリムとスリナムの違いが何度言われても分からない。スリナムのことをずっとセスリムと言ってしまうこよ。永田さんが行ったのがスリナムで、こよが結構長く滞在したナミビアの都市がセスリム。永田さんにちょっと詰められる。自分の記憶と紐付けちゃうのがめっちゃこよっぽくてキモくて嬉しくなる。
エレベーターとエスカレーターも分からなくなる!セスリムじゃない方がスリナムだから…で覚えると、覚えてきた頃にセスリムが出てきてごっちゃになる、と混乱の理由を説明したら永田さんがそれならOKと納得してくれた。
卵焼きと目玉焼きもね分かんなくなっちゃうんだよね。
これめっちゃ覚えておきたかったけど大まかな内容しか覚えていなくてこよの言葉じゃなくて完全にわたしの言葉になっちゃってるんだけど、永田さんが 一緒に番組でスリナムに行ったディレクターもそうだったんだけど、海外旅行が好きな人はどんどん捨て身になっていき死が怖くなくなる、死ぬことへの恐怖が薄れるからなんでもできてしまうんだろうと感じた。ふたり(色んな国に行ってるこよと東さん)はどう? という質問をして、それにこよが 日本は安全だから、安全の中で生きていると自分の人生を生きている感じがしない。本来だったら死んでいたり危険な目にあったりしているかもしれないのに、日本に住んでいるからという理由でそれがない。でも海外にいれば自分で危機感を持って周りや生活に気をつけて生きなければならない。ずっと日本にいるだけではただ生きているというだけな感じがする。 というようなことを言っていて、すっごく嬉しかった😢わたしはこれと全く同じ意見というわけではないけど言っていることはすごく分かるしそれを素敵だとも思う。カッコイイ。
わたしはこよのこと、一般的に危ないとされることをやってみたい、経験として自分の中に欲しい人なんだなと認識していて、ナミビアもそうだし東南アジアもヒッチハイクも、行った先の場所で観光したいというよりは文化を学んだり現地の人がどういう暮らしをしているかとかそれこそ資料集にちっこく書いてあることを見てみたいとかの人なんだろうと思っている。
まず日本は安全かと言ったら、全く知らんですけど犯罪者数とか死亡者数とか街にいるホームレスの数と質で言ったら麻薬取り締まりとか銃刀法の関係もあって他の先進国と比べたら狂ってる人の数は少ないのかもしれないけど、安心して暮らせるような国ではなくなってきていると感じる。
でもこよが言ってる安全は、突然殺されたり事件に巻き込まれる確率が低いという類の話だと思うし、言語が通じてお互いに国の常識を共有しているからこそ、変化を求めなければ単調な日々を続けて死を待つことが出来るという意味じゃないかなと私は受け取った。
無尽蔵のコラムを読んでさおにゃんの回だったと思うけど、人間は変わり続けたいという欲があるみたいな話があって、私はそうでもない気がするなーと思った。現状への危機感はあれどホメオスタシスをぶち破ってまで変わり続けたいと思う日本人は多くないのではないか?今のままじゃダメ、変わりたい、性格やライフスタイルを変えたいと口では言っていたとしても、その暮らしを維持したい人も多いはず。満足のいかない暮らしだったとしても、変わらなければ悪くなることは無いのだから。
人生を人生たらしめたい、そういう思いがカッコイイし私もそうでありたい。私だけの人生、私が何をするか決める。ただ生きているだけになりたくない、こなすだけの日々はつまらない。ルーティーンが嫌い。日本は安全だという話、同じ理由で地元に残りたくない。安全や安寧の中で暮らしたくない、変わらないことが怖い。
こよには死んでほしくないけど、こよが自ら動いた結果得た経験を持ってして出せる儚さがあると思っている。こよがずっと私の前にいてくれる保証は無い。多様な文化と価値観を実際に体で感じているから新しいものを生みだすことができる。芸人という括りにおさまらない、こよにしか持てない肩書きを作るかもしれない。
今の私は何者でもないから、早く何者かになりたい。 それは所属や職業の意味ではなく、自分が納得する自分の振る舞い方を見つけたいという意味。
内向的外向的の意味をやっと理解しはじめているが、お笑いを見ていても小説も映画も全て自分と照らし合わせて自分の人生にどう影響が出るか、という視点で見ている。それは内向的なのかも?どちらの面もある。外向的な面で獲得した情報を自分の中に持ち帰って内向的に深く考えることが好き。
とにかくトークライブのたびにこよのことがすきになる。
サエキが異常なほどおもしろい。ニュージーランドに3年いたとはいえ、変すぎる人の日本ではない土地の10代って貴重すぎるしおもしろすぎる。もっといっぱい聞きたいな。
やっぱり好きに生きよう!誰も私に指図しないでほしい。私を変えようとしないでほしい。なんとなく、私にこうあってほしいんだろう、こう振舞ってほしいんだろうという他人の希望に応えようとしてしまう節がある。他人の常識はウチの非常識や!
