お風呂入ってたら病院から電話がかかってきて、おじいさんの容態がよくないと。すぐ出て家族で向かう。転院してご飯が食べれるようになってきたと言っていた矢先、誤嚥がひどくなって食べれなくなっちゃったみたい。

 

少し前から一言二言くらいしか話せなくなってて、この日も少しこっちを見てくれただけだった。すごく息がしづらそうで、肺炎の影響なのだそう。むくんでしまっている手をさすったり、足をマッサージしたりしてしばらく家族で見守っていたけど、3時半ごろおばあさんとパパを乗せてちかちゃんが一回家に帰ることになった。病室で呼吸の安定しないおじいさんとふたりきり、返事もないしかなり心細かったけどその時間で今までずっとわたしを応援してくれたおじいさんに感謝を伝えることができた。

そもそもわたしを英会話に入れるのを勧めただったか反対しなかっただったか、したのはおじいさんらしい。WW2の時の子どもで米兵に拙い英語で話しかけたこともあるらしい。何の脈略もなくノーサンキューとかサンキューベリマッチとか日本語すぎる発音で家族を和ませるユーモアのある人だった。昭和の頑固おやじで、結婚して公務員になれとかいう割には、わたしの留学費用もおじいさんが出してくれて、いろんなところへ訪れたほうがいいと言ってわたしがどこかへ旅行に行くと聞きつけると必ずお小遣いをくれる人だった。小さいころよく本屋に連れて行ってくれた。小説を買いなさいと言ってちゃおは買ってくれなかった。大きな動物図鑑が何冊もあって、庭にどんな鳥が来ているか双眼鏡を覗いていた。確実に今の私を形作った要因のひとりはおじいさんだと思う。

 

ありがたいし、だいすきだなーと思う。