午後。


2グループに別れての作業。

僕は別のボランティア団体で来ている2人と

3人で行動。


午後からの作業は

小さな工場での作業だった。


バスを降りると


作業中の人。
責任者の方が1人で
ヘドロの除去を行っていた。


そこは
午前に行った所よりも
ヘドロの量が多く、20センチ近くあった。

そこで僕らは
ひたすら
ヘドロの掻き出し。

オイルの匂いがとても強かった。


ヘドロの中には
片方だけの靴、
味の素、
瓦、
魚、
ウィッグ等々

様々なものが落ちていた。


想像以上に
作業がはかどらず

小休止をすることに。


みんなで一服しながら
雑談が始まった。


なんの話の流れだったか
思い出せないが
思い出せないと言うか
それほど自然に














「いやーうちの息子亡くなってね
明日、火葬してもらうために、隣町まで泊まり掛けで行くんですよ。」






あまりにも自然で
淡々と話すその人は
まるで他人事の様に
話続ける。










「まぁ、寝たきりで一階にいたので、しょうがないんだけどねぇ」








ゾッとした。

自分の息子が亡くなったことを
【しょうがない】
と言った。



ただ事実を報告しただけのような
感情のこもっていない言葉。

それは慰めてもらいたいから
言った言葉じゃなく
ただ口から出た言葉達。


どうゆう心境なのか?
なにを考えて話をなさったのか。





その人から僕は
なにも感じられなかった。



うん、今
みんなとその話をして
僕なりの解釈ができた。


まだなにも感じられていない。
のではないか。


勝手な憶測であって、
失礼極まりないことは
承知の上だが



まだ悲しんでいる余裕がないのではないのか。

現実を受け入れる余裕がない。


今はまだ
目の前のことを処理すること。

とゆうか、あまりに多くのことが同時に起きすぎて、自分のことすら
精一杯なのか。



僕には
そんな想像しかできない

被災者した人にしかわからない気持ちを
東京からきた僕が理解しようとは
思わないというか



出来ると思ってないが


文章にして書きなぐると
まとまらない。















作業している最中に
通電して
みんなで喜びを分かち合った。



電気が通ったことに対する喜び。


今思えば違和感がある。

電気のない生活を
2週間以上続けることが
どんなものなのか

想像もできない。




さいごにコーヒーを出していただいた。




自分の生活がまともに落ち着かない状態で、そうゆう気遣いができるであろうか。



まぁその辺はいいか。

また頭が痛くなってきた。







暗くなる前に
キャンプに戻り
7時には夕食を済ませた。


泥まみれになり、汗だくだったけど
みんな当然、風呂には入れない。



食事のあと、いろんな人と話をした。たくさんの話を。



少し衝突する場面もあった。

愚痴も漏らした。




ここには書ききれない
他人との共同生活での苦悩も
山のようにある。





全部を引っくるめて
被災者の方々と比べたら、、、

の精神は忘れちゃいけないと思う。






でも僕は
すでに
ここに来た意味を見つけた。

不謹慎だが
自分の特になることが
たくさん有りすぎる。


これを誰がどう捉えるかは
わからないが
僕はそう感じている。

















上手いこと言うつもりはないが


本当に
その夜は

泥のように寝た。














後、6日。





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