夢 ありますか?


わたしは、
2年前に お弁当あかりんご
というお弁当屋さんを始めました。



人並みに働きたいと、
生保に5年居た時期もありますし、

飲食店ホールで働いた事もあります。


でも、つまらなかった。
いっつも、仕事の粗探ししかできない
偏屈野郎だった。


私が、社会に適応できないのは、
私が悪いのではなく、世の中の仕組みが悪いんだと本気で思うような奴で。



そんなわたしが、
自分ビジネス
と、いう、ワードを見つけ、
発信者の、吉野さやかさんが 言うような世界が自分で本当に作れるのか?


と、
確認したくて、、、
必死に
じぶんなら、何ができるか考えて始めたのが
お弁当屋さんだったのです。


やってやろーじゃないかーい!!と

何年もかけて、貯めてきた300万を
使い、お弁当やを、はじめたわけです。







(恥を捨てて、赤裸々に本心で
綴っております。
お時間が許す限り、お読みになってくださいね。)



わたしは、
まだ、見ぬ自分を見たかったんですよね。



やらかしたかった。



で、今、


本当に、
やらかしてしまいそうな現状です。





お弁当屋さん

もう続けるのは、むずかしいかも。


2年経ちますが、

休み休みなんで、中身は実質、どんくらいなんだろう。




続けるの、むずかしいのかも。

と、言ったのは



お弁当屋さん、
もう、やり切っちゃった!




気持ちが、進路方向を変えたがっているからです。


私は、小さな島で生まれ育ちましたが、
小さな島で、踊りを習っていました。



親に無理やり習わされていたので、
そんなに楽しかった記憶はありませんが、



高校卒業後の進路を決める時期


鹿児島の、看護学校にうかり、あとは入学式金を納めるだけ。

と、言う時に、


(祖父母と)有名な歌舞伎役者さんとの ご縁が
浮上し、トントントン と、
東京の歌舞伎役者さんの自宅へ
内弟子という形で、上京することが決まりました。




わたしは、
自分の人生に興味がありませんでした。


いつだって、親の言う通りの
道順で歩いてきた子だったから。


自分で、自分を生きる。
そんな 当たり前の事を
ずっと放棄して生きて居た。



でも、本当は、看護学校に行きたくなかった、勉強なんて、くそ大嫌いでした。



東京に行きたかった。
渋谷のスクランブル交差点を歩きたかった。
毎日、マックに行きたかった。
芸能人に会いたかった。



堂本剛くんに会いたかった。



・・・・・・・・・・




そうしたら、

ギリギリの所で、

看護学校に行くのは中止になり、

東京行きが 叶いました。



でも、内弟子なりたい!
だ、なんて、最小単位1ミクロンも
思っていなかった。



わたしには、
到底、考え付かないルートで、
望みが、叶ってしまったの。


しかも、東京港区南青山。


両手をあげて喜びたい所だけど、
内弟子は、とても辛い日々。



せっかく東京に来たものの、
自由時間なんてものは、ほぼありません。



ご主人様の朝ごはん作りから始まり、
掃除、洗濯、お昼ごはん、買い出し、夕飯用意、
隙間時間で、たまにお稽古。



小さな部屋で、
おなじ内弟子の先輩と就寝。



わたしが、内弟子に行った時期は

ご主人様の、
離婚、結婚、
ご主人様の、お母様の癌
続けて、ご主人様のお父様の癌


わたしは、おふたりの 死を 側で見届けました。




辛い辛いと言っているけど、


辛く、しているのは、
自分自身だと よくわかっています。



本当に、可愛がっていただいたのです。


毎月、歌舞伎を良い席で見せてもらい、

茶道、日舞、鼓、お三味線 

素晴らしいお師匠さんをつけていただいていました。


美味しいものを、たくさんいただきました。



いわゆる、経済レベルの高い方々の
生活を
何の苦労もなく、体感する機会に恵まれました。



毎日が、刺激では、ありました。



でも、わたしが、望むものではなかった。







それが、全て、芸 という形で、
わたしの身に 一つもなっていないというのも
わたしの、浅はかさです。



ただ、東京で遊びたい!
と、思っていたわたしには、
全てが、邪魔ものでした。



全て、身が入って無いまま
お稽古をしていたので、
血肉にする事ができませんでした。




こんな経験、誰にもできるものじゃありませんよね?
20数年経ち、
本当に、悔しい思いをしているんです。



その時を 味わえなかった自分を深く呪います。




深く深く
後悔して、呪いまくり、


なのに、
どん底に落ちた気持ちを見ないふりして生きて居ました。



それから、

こんな風に適当に、芸の道に 携わってしまったわたしは、
金輪際、芸事に関わってはいけない!



と、その世界に身を置く事に
大きな✖️印をつけて生きていました。




でも、ずっと、

踊り を横目で気にしながら生きている
私がいて。




先日、吉野さやかさんが、歌と踊りの
1stライブをされました。


長崎県壱岐島で開催されるLiveでした。
オンラインで見れるチケットもありました。



わたしは、見たいような、見たく無いような
見なきゃいけないような
見てはいけないような、、、、



味わったことの無い、感情を味わいながら
連日、申し込みフォームをいったりきたり。




申し込み期限が迫った時
さやちゃんの、告知で、

for me

あなたの為に見てください。


との一文を みつけ、

その時、
世界にはわたししかいなくて、
間違いなく、この言葉が指す

あなた、

は、

わたし以外居ないな。

と 核心を突き、

震えながら、チケットを買ったのです。



プロの歌手でない方が、
歌を歌い、
踊りをいままでやった事のない方が
今、踊りを始めて、


夢中に取り組んでいる姿を見るのは

苦しかったです。



何故、苦しいのか?



実績も経験も無い人が、
お金を取って、ライブをすることに対する
違和感。


それに、反して、
一生懸命に練習して
ただ、自分の世界を信じ、自分自身を信じて

目の前の事に 没頭することが

出来る彼女が、羨ましくて仕方なかった。



わたしは、初心者だから、、
とか、
プロに比べたらわたしなんか、


とか、言い訳することなく

表現する姿が、
それは、もう、美しかった。



わたしの 魂は
震えまくっていました。




わたしも、
わたしで、
そんな風に生きて、
誰かを目覚めさせなければ。



そんな風に思ってしまったのです。



誰かのためではありません。

わたしの為に。

なんですけど。




さやちゃんの

いやさやさやけく


と、言う 歌、歌声を聴いたことがありますか?



わたしは、初めて聞いたとき、

身震いしました。


そしてね、

仕舞い込んだ、浴衣を出し、お扇子をだし、
曲に合わせて 身体が動くままに 踊りました。



2時間くらい 踊り、

何やってんだ、わたし。


と、思い、ボーっとしました。


でも、気持ちよかったんですよね。



踊りたい曲で、
心を置き去りにしないで、踊れた。



心と身体が一緒になれた。






踊ると
あの時、わたしが内弟子をやっていたときの


堕落的な日々の過ごし方
人任せな生き方を思い出すんです。



暫くは、これからも そうだと思うんです。


でも、それは、俗に言う
好転反応だとも思っていて。



踊る事が、セラピーになるのだと感じて居ますし、


わたしは、
身体を動かして、
表現する世界 に、
今、身を置きたいと 強く思っています。



でも、相当に、怖いです。


ブログに書くのも、怖いです。



#今、叶っていないことをブログに書く



に、挑戦しました。



そして、思うんです。


お弁当屋を始めたことも、
この事に 気づくためだったのだと。



そして、舞い始めたら、
また、新しい 何かが 生まれてくるかもしれません。


ページは、1ページずつしか 進まない。


今の気持ちを 無視せず、
大事に 1ページず進むしかありません。




わたしが、
トントン拍子に、
内弟子に導かれた事、


これなんか、


挫折しまくり、失敗しまくり
どん底、後悔、


相当な、暗黒時代ですが、


これほど、強力な 事象を起こさなければ
ならなかった何か。



が、わたしの 後ろで 糸をひいているような。



そこまで、強烈に刻み込まないと
事の重大さに気づかないわたしの為に。