私もそろそろこの世に生を受けて、半世紀になろうといている。
30 までにやったことは、とにかく旅行をすること。
その中で思い出深いことを少しずつ書いていこうと思う。
何時間もかけてサハラ砂漠に到着。
写真で見た通りの砂漠が広がり
ラクダとともにいるのはみんながアラビアのローレンス。
とにかくかっこいい。
しかし、到着したのはいいがもうすでに日は傾きかけている。
その日の宿をまず確保せねば・・・というので
一番かっこいいと思われるアラビアのローレンスに
一番近くのホテルに連れて行ってくれと頼んだ。
そして着いたところが・・・まぁすごいところ。
今だったら絶対にあんな所は無理だろうけど
その頃の私は若かった!
清潔なのかそうでないのかすらわからない。
だって電気がないから。
なのでフロント(そんな風に呼んでいいのかってかんじのところ)に行って
ろうそくはないか、と英語できいた。
通じない。
とにかく暗くて絵もかけない。
相手はパルパル語と少しのフランス語しか話さない。
しょうがないからジェスチャーゲームに突入。
私は仕方がないので、煙草に火をつける仕草をして架空のライターを指差した。
相手はしたり顔で英語で『OK!』と言った。
部屋で待ってろ、的なことを言ったのでとりあえず部屋に戻って待ってると
おやじ来た来たっ!
マッチとマリファナ持って。
そしていくらだったか忘れたけど、金額の交渉までしてきた。
私は『ノーノー』と言い、マッチだけもらおうとしたら
おやじはマッチの料金を払え、と言った。
疲れてたのでもう面倒くさかったので言われるがままに払ったけど
もしかしたら私、300円ぐらい払わされたかも。
ま、いっか。
翌日もういちどサハラに飽きるまでいて
文明が恋しくなった私はカサブランカに向かった。
とにかく髪も体も砂まみれ。
風呂に入りたかった。
やっと近代的なホテルにチェックインしバスタブにお湯を張ろうと思ったが
お湯はまったく出ず。
電話でお湯が出ないとクレームしたら(英語通じた)
一時間待ってくれ、と言われた。
いいですよ、と途中で買ってきたパンや果物を食べて
本を読んだりなんかしていたら
遠くの方から、なんだか日本語風に言うと
『よいしょっ、よいしょっ』みたいな声がだんだん近づいてきて・・
部屋の呼びリンが鳴ったので開けてみると
なんと
すっげー大きな鍋に満タンのお湯を沸かして持ってきてくれたのでした。
お湯はひねったら出るもの・・・ではなかったのね。
ここでもすごいカルチャーショック。
私は一生懸命運んでくれたおねえさん方にメルシーを連発しながら
そのありがたいお湯を使わせてもらったのでした。
その時私はまだ20代。
ある国でアルバイトをしながらいろんな勉強をしていた頃だけど
この北アフリカの旅は私のターニングポイントになった。
当たり前のことを当たり前と思わないことや幸せのあり方、価値観や人生観。
この前ブータンの王様夫妻が来日されてて
なぜだかわからないけど
昔旅したアフリカのことが思い出され、ちょっと書いてみた。
私がアフリカを旅した時は、ちょうど西洋でいうイースターの頃で
でも実はイスラムではちょうどラマダンの時期となっていて
人々は日没まで水さえも口にしない、という断食のころだった。
日没前の人々は目も虚ろで、ちょっとこわいなぁと思った、正直。
しかし私は若く、その国の宗教を尊重するという考えも毛頭から持ち合わせていなくて
そんな人々の前でバナナ食べたりパン食べたりしていた。
そんなよそ者の私たちを例の虚ろな目で見ていた人たちは、しかし、
日没とともにみんなで食べ物を回しあいながら食事の時間となり、
なんと
私たちにまで食べ物を分けてくれた。
言葉も通じず、その国の慣習などまったく無視した無法者に
彼らの待ちに待った食べ物を、分けてくれた。
私は自分が恥ずかしくて、そして人々の温かさがうれしくて
涙が出てきた。
私が初めて受けた実践道徳の授業だった。
しかしこの涙を私はブータン国王夫妻を見るまですっかり忘れてたって事実。
本当に人は善くも悪しくも忘れてしまう生きものなんだなぁ、これが。
アラブの春が進んでいる今
あのサハラの村にいる人々はどうしているんだろう。
私たちのために一生懸命お湯を沸かしてくれたおねえさんたちは
幸せに暮らしているだろうか。
平太郎が独立したらもう一度必ず訪れたいと思っている。