文明論の話。
科学がイスラームの大きな影響のもとに生まれた、というのは前提としておいて、なぜイスラームの影響のもとに科学が生まれたのか、ということを考える。
ここで、「知性感帯」という観念を導入する。概念だとは言わないので、とりあえずそういうものだと思っておいてほしい。「もっとも知性に訴える感覚領域」ぐらいの意味だ。
ギリシア古典文明は、たいへん視覚を重視する文明であり、そのことはプラトンの『パイドロス』における「まなざしの熱」の観念や、すぐれた彫刻芸術からも傍証が得られると考える。
いっぽう、イスラームは朗唱が魂の救いの不可欠な手段であるという仮説のもとに築かれた文明である。すぐれて聴覚的な文明といえる。一瞬で直観される視覚にたいし、聴覚的な芸術(弁証、ディベート)は時間が必要だ。ヘーゲルの概念では「音楽的思考」の段階に当たる。この耳の文明が古典ギリシアの目の文明を受容した。
そこでどうなったか。「視覚を、視覚そのものにおいてではなく、論証と言論において消費する文化」が生まれた。たとえば幾何学である。エウクレイデスの『原論』(「元素」という意味)がこぞって研究された。また、光学である。視覚が論証の時間的拡がりの中で、ゆっくりと分析された。
この、視覚にたいする反省という知性感帯が、中世キリスト教社会に移入されたときに「書かれた弁証」というスンマの形式を生み、さらに科学の誕生へとつながったのではないか。以上、ほんのメモ程度。