現象としてのダークマター | 太浦綱のブログ

太浦綱のブログ

ブログの説明を入力します。

午前中「中国語入門II('10)」の試験。そのまま図書館に行って大論理学の続き。
上越にはないな。ないよ。
本質は自分の否定性を否定して根拠になる。根拠は自分を反省することによって自分じしんと関係して実存になる。実存は自分が本質だということに気づいて現象になる。という段取りだ<段取りかい。
これって必ず、現実の歴史のなかでは最初は関係のない、バラバラなものとして現れるんだけど。たとえば、ダークマター?ダークマターは「実存」の段階だと思った。この世界に影響を与えながら、自分じしんの中でもあれこれ関係している。ところが、関係じたいがもう一つの実存として現れる。
(「ヘーゲル読解虎の巻」の回を思い出してね)一つと一つが戦うと、現れるのはなにか最初の二者とは別の新しいものだ。謙信と信玄が戦って織豊政権が全国統一する的な。ダークマターの場合、ダークマターじたいがひとつの物質ではあるけれど、ダークマターのもつ「質量」という性質がこれまたひとつの自立した存在(「実存」)として自己主張をはじめる。
通常物質も質量を持っているから、質量という「根源-物質」のようなものがダークマターと通常物質という二つの姿をとっているのかとも思われるけど、それだと質量も実存ということになるから、まずは質量が自分が本質であるということに気づきなさい。
本質には定在が対応して、定在とは直接にあらわれた否定性、つまり物質のことだったから、けっきょく「質量を持っている以上、ダークマターも通常物質も同じ物質じゃん」ってこと。ところが、ダークマターと通常物質は同じ場所に同時に存在して混じりあっている。だから、ダークマターも通常物質も、現れては消える砂絵のようなもの。
夏、海水浴に行くとパンツの中砂入ってきちゃってあとで洗うとき妙にいらつくよね、だから海には入らないで絵を描いて遊ぶ、それが砂絵。ダークマターとか通常物質とかは、そういう砂絵みたいなもの、つまり現象だということですね。



Android携帯からの投稿