こんにちは。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
今日は、人生あるあるなお話を載せていきたいと思います。
最近、とある知人のことで悩んでいます。
それは、今後その知人と付き合いを続けていくか否か……。
ざっと背景をお伝えしますと、その知人と知り合ったのは3年以上まえになります。
当時私は、余命宣告を受けた親の介護をしていました。
残された時間、最後の親孝行をするチャンスであり、家族との思い出を残したいと考え、仕事もやめて猫たちと一緒に実家に住み込んで親の面倒をみていました。
社会とのつながりがなくなった私にとって、知人とのメールは非常に心強いものでした。
私の話を聞いてくれる唯一の存在だとさえ感じていたのですから。
親を看取ってすぐ、私は就職活動を再開しました。
幸いなことに就職先はすぐにみつかり、親の納骨を終えた翌月から仕事を再開することができました。
就職後、メールでしかやり取りをしていなかった知人とは、お食事をする機会が何度かありました。
最近は、私は仕事の方が忙しくなってしまったので直接お会いする機会はなくなってしまいましたが、メールの方は続いておりました。
といっても、知人が一方的にメールを送ってくれるという形でしたが。
メールの返信が滞った理由は、私の中で仕事とそれ以外のことが優先事項の上位を占めるようになったからです。
この頃になると、メールの内容にネガティブなものが多く、上から目線の言葉が散りばめられていたことが目に付くようになり、知人とのやり取りが非常に退屈で面白くなくなりました。
それどころか不快に感じるようになってきたのです。
知人とのやり取りも長いことですし、どうしたものかと悩んでいたある日、決定的な出来事が起こりました。
それは、私が観ようと思っていた映画の話を突然メールで送ってきたことです。
しかも、朝イチに。
内容は非常にシンプルで、「つまらなかった」「何度も寝そうになった」「アメリカ映画にはありがち」「CG技術だけは流石」という感想メールです。
配慮があるひとや、気がつくひとは前段階として、「あの映画みた?」とか、なにかしら確認作業があると思うのです。
そして、言っても大丈夫だと思ったら、「つまらなかった」などの内容を送ることでしょう。
しかし、知人はそういった内容のメールを普通に送ってくることが多くなりました。
今までは小さなことだとスルーしていましたが、流石にこれはないと感じて、内容が不快であること、今後このようなメールは送らなくてよいと伝えることにしました。
もちろん、送る前に悩みました。
しかしこれはハッキリ伝えないと、今後の関係性を考えたうえで駄目だと思いました。
やがて、この知人と交流を続けていく必要があるのか、という考えに至りました。
たしかに、出会った頃は状況が状況なだけあって必要な存在だったと思います。
その点に関しては知人に非常に感謝しております。
しかし時が流れ、私を取り巻く環境が変化し、人間関係も同時に変化しました。
私自身、精神的に成長し、楽しいと思える職場の同僚や友人にも出会えました。
今では職場のひとと食事に行くのが楽しみでしょうがないほどです。
どんなに時間がなくても、気の合う友人とは食事に行く時間をつくれますが、その知人とは時間ができても会いたいという衝動が沸かない。
それどころか、知人のネガティブなエネルギーが嫌で避けたいほどです。
これはおそらくですが、私のエネルギーと合わなくなったことを意味するのだと思います。
人生において、ひとはいつまでも同じところにとどまりません。常に成長し続けます。
成長のスピードはひとそれぞれであり、遭遇した出来事の難易度でも変わってきます。
私の場合は、大好きだった親との死別が大きいでしょう。
いつまでも元気でいると思っていた親を失って、世界の見え方が大きく変わりました。
世界には、こんなにも愛おしく感じられる人々が存在していると気づかされると同時に、今まで感じていた仕事の不平不満ですらどうってことないと感じられるようになったのです。
では、今の私が「つまらない」と感じるひとと、無理に付き合い続ける必要性があるのでしょうか?
答えは「NO」です。
自分にとって良いと思える環境を整えてあげられるのは自分だけです。
この出来事は、人生におけるステージアップを果たした私に、人間関係を見つめ直す時期が来ているのだと気づくきっかけとなりました。
あなたの周りには、このようにあなたを不快にさせるひとや物はありませんか?
昔はそうでもなかったのに、最近不満や不快に感じることが増えたなら、それは一度関係性を見つめ直して、整理するタイミングであるという自分の心の声かもしれませんよ。