大腸癌を患った母は、発見時には既に余命3ヶ月の状態だった | obatyo-Larimarのブログ

obatyo-Larimarのブログ

大腸がんで他界した母のために集めた癌に関する情報や、タロットカードを使ったメンタルセルフケアの記事を公開しています。よろしくお願いします。

 私の母は60代前半で大腸癌が見つかりました。

 2020年の8月の出来事です。

 

 

 コロナウィルスが流行し、体調不良が続いていたにも関わらず診察に行くことを躊躇していました。しかし、いよいよこれはマズイと感じた母は近所の消化器クリニックに受診し、そこで検査を受けました。そこで医師から告げられた言葉は、

 

「ここでは何もする事がないよ」

 

 でした。

 

 紹介状を持って別の病院に受診した結果、S状結腸癌のステージ4で、肝臓へ多発転移を認める状態でした。

 肝臓に至っては、ほとんどが癌に置き換わっていました。

 S状結腸も閉塞するギリギリの状態で、緊急入院が必要と主治医から告げられたほど酷い状態だったのです。

 

 しかし母は、

 

「このまま入院することはできない。困る。主婦にはやる事が沢山あるの。」

 

 と告げ、入院を3日ほど伸ばして貰い、その日は帰宅しました。

 

 母がやりたかった事は、入院している間家族が困らないようにする事でした。

 入院治療に必要な高額医療費の申し込みに市役所にも行きました。

 

 入院に持って行く物を準備したかった母でしたが、全然進みませんでした。

 普段の母なら、あっという間に準備していたのでしょうが、病状が深刻な状態で思考もまとまらず、何から手を付けて良いのか判断が出来ない状態でした。

 病院から貰ったパンフレットを読んでも、文字は読めるけど理解できない様子が見受けられたのです。

 

 同居している父親と弟は現状を理解し受け止める事が出来なかったのか、思い至らなかったのかは分かりませんが、入院の支度などの協力は得られませんでした。

 結局私は仕事を早退し、母とパンフレットを読み合わせ、必要な衣服、靴、下着、コップや箸などを買って連日実家に届けました。

 3日後、無事入院した母でしたが、入院から2週間近く経過した頃に主治医に呼ばれました。入院後に行った検査の結果が出たとのことで、病状と今後の方針について説明があるとのことでした。

 説明には父と私が同席する事になりました。その時初めて主治医から、

 

「このままいけば余命3ヶ月だよ」

 

 と告げられました。

 

広告