※会津若松~会津川口~只見
小出~会津若松を結ぶローカル線だが、平成23年7月末に発生した災害で被災した傷が癒えず(平成30年1月現在)、会津若松~会津川口、只見~小出をそれぞれ折り返し運転とし、被害が大きい会津川口~只見をバス代行で結んでいる。
そんな只見線に数十年ぶりに乗車した。
会津若松を出ると、しばらくは市街地を進み七日町。
住宅も多く、乗降も相応に行われた。
川を渡って西若松だが、駅間は短い。
ここから会津鉄道が分岐していくが、この会津鉄道もかつては「国鉄」だった。
少しずつ住宅が減って行き、山並みも近づいてくる。
阿賀川を渡って、右手に田園風景が広がる会津本郷で、左手に新興住宅地があるため、こちらでも乗降は多い。
ほぼ真っ直ぐ進んで会津高田。
その途中、右手にプレハブ住宅が建ち並んでいるところがあるのだが、こちらは、東日本大震災で被災した方々の仮設住宅だろうか?
周囲は広大な田園風景であるが、乗車したのは冬季だから「雪原」という表現が正しいが…。
そんな中に置かれた根岸は、野口英世ゆかりの地でもある。
徐々に住宅が増えてくると新鶴だが、ひとたび駅を離れると再び田園風景だ。
若宮も周囲を田園風景が広がる。
会津坂下は、駅舎も構えた列車交換も可能な駅で、駅前には学校がある。
今度は左手に田園風景、右手に住宅地が広がる。
左右に見えていた山並みが前方に来るようになり、そこへ分け入るように入り、高度を上げていく。
視界が開ける頃には、道路や住宅は下方に見えてくる。
山肌に張り付くように置かれた塔寺を出ると、周囲は雑木林で、トンネルが増えてくる。
トンネルによっては携帯電話が圏外になった。
再び平原に出ると会津坂本で、道路が並走するなど生活感を感じるが、川を渡る鉄橋の高度は、かなりある。
C11が静態保存されている会津柳津は、観光拠点としても機能しているためか乗降も多く、やはり只見線は地域の足及び観光の足となっている。
落雪防御のシェルターなども増えてくる山村の簡素な造りの郷戸でも乗降がある。
滝谷は左手に集落が広がるが、ここでも高校生が下車していった。
会津桧原もちょっとした集落が開けるが、駅間の右手はほぼ崖だ。
しかし、車窓がよくなるのもこの辺りからで、渡る鉄橋の全てがシャッターチャンスだ。
会津西方辺りからは、川が右手に見えるようになり、観光路線の本領発揮だ。
駅舎を構えた会津宮下では、周囲に学校も多く、相応の人口があると見られ、まとまった乗客が降りていった。
水力発電所があるダムを過ぎると、満々と水を貯めた川が車窓のお伴になる。
トンネルも増えてくるので、シャッターチャンスを逃さないようにしたい。
早戸からは川が左手を流れ、ほとんど乗降がなかった会津水沼を過ぎて再び川を渡る。
会津中川を過ぎると、会津若松側からの「現時点」の終着駅、会津川口だ。
ここから只見方面に向かうには代行バスしかないが、JR代行なので、青春18きっぷでも乗れる。
代行バスは、ほぼ只見線に沿って走り、基本的に各駅停車である。
しかし、そこは鉄路と道路。
バスは決め細やかに道路を行くので、おそらく只見線からは見えないところを走っているであろう。
本名を越えて横切るダムは、その最たるものだ。
代行バスが走る道路の右手には、ずっと川が寄り添っているが、只見線は左手の山肌に沿って走り、時たま雪に埋もれたままの鉄橋などを見ることができる。
また、川を渡るところでは、橋が流されたままの只見線の姿もチラリと視界に入る。
また、道路は温水スクリンプラーが稼働し、道路に雪はない。
途中、只見線を潜るところがあるが、一刻も早い復旧が待たれる。
商店や住宅が増えてくると只見町内に入ったことが実感でき、交差点を右に曲がって間もなく只見だ。
残念なことに、今冬での只見線完乗はならず、リベンジを誓って後戻りした。