皆様、オハコンバンワ
いや~、なんとか映画「かぐや姫の物語」を観て参りましたが、なんとも記事にしにくいのってなんのって……
私は見終わった直後「登場人物が誰も成長しない内容だった」とびっくりしたんです
そりゃ、丁寧に計算され尽くした素晴らしい名作誕生なのは確かなんですが、なんだか「もやもや」が晴れなくてブログに取り掛かるまで結構時間が必要でした
「もやもや」の正体の最大のモノは、今まで自分がどれだけテレビの宣伝の影響を受けていたか、ということでした
鈴木敏夫プロデューサーは無類の映画好きで、元々は徳間書店の一編集者だったんですが、彼の映画への愛と熱情と知識で、今では日本では東宝の主力のみならず、北米などにもディズニー通じた配給が行えるようになりました
映画「風立ちぬ」のキャッチコピー、「(風立ちぬ)いざ生きやめも」→「生きねば」は映画の核そのものだったかと思います
一方、高畑監督の最新作映画「かぐや姫の物語」のテレビのCMのキャッチコピーって、、、、
「姫の犯した罪と罰。」
「ジブリ史上、最高の絶世の美女誕生」
「製作費50億」etc.
なんですが、核って果たしてソコって悩んでしまって…
まず「姫の犯した罪と罰」の罪を私が語れないんですよ
※あまり自信が持てましぇん
それを敢えて語るなら、
姫は大昔の日本女性の生き方の宿命に准じていますが、観てる私たちは現代の日本人なので「自分の意志は周りに示さないと結局後でお互いに嫌な思いをする」と知ってたり刷り込まれているわけですよ
で、姫が自分の意志をずっと貫かず逃げた結果(罪)、沢山の人間を不幸にしてしまい、自分自身も地球上にはいられなくなってしまう(罰)
といった感じでしょうか…
いつも主人公が勇気を持って観客と共に未知の領域に踏み込んでいき、成長を遂げる宮崎駿監督の物語と真逆を行ってて、とても新鮮でしたし考えさせられました
奇しくも共に空に還るヒロインでしたが、菜穂子は愛する男の背中を「生きて」と押し、かぐや姫は地上の関わりを全て忘れて去って行く…
たとえかぐや姫は絶世の美女だったとしても、心から愛する人に巡り合えないまま切ない夢だけを見て、月に帰ることとなりました
常にヒロイン・ヒーローが存在するジブリ作品では異例のお話だといえるでしょう…
ボーっと映画の内容や登場人物たちのことをいろいろ考えてて、
「誰も悪人はいないのに、どうして誰も幸せな結末を迎えられなかったんだろう」
とかなり切ない思いをいたしました
そのうち、
「高畑監督は誰も幸せに描く気はなかったのかもしれない」
と思うようになりました
それは映画から否定的な人生観を押しつけられたのではなく、登場人物が状況や感情に流されているさまが深く私自身に重なって、自分自身の生き方を反省した時に、
「私もこのまま成長せず流されていたら、かぐや姫みたいに自分だけでなく周りも不幸にしてしまうかも」
と考えて、その瞬間に、
「もしかすると高畑監督はお話の主人公と共に観客(私)を引き上げ成長させるのではなく、映画を観て内省することを促して、観客(私)を成長させるつもりなんじゃないか」
と頭に閃いたんです※大げさでスミマセン
映画の前半は音楽も絵もキャラクター達も全部楽しく、私は映画の世界にすっかり同化していたのに、後半の切ない流れと複雑な想いを残すエンディング
お手軽な映画だったら「あー面白かったあれでもどんな話だったけ」で終ります
高畑監督作品は「あー良かったあれでもアレもコレも気になってしまう」と考えさせてくれるのが特徴ですね
そして私たちの人生が有限であり、いつか必ず終いを迎えることや、その間にただ流されるだけでなく、意味・意義を見付けて生きていくよう背中を押された気が致しました
3年に一度くらいは必ず観て心を解放させて楽しみ、自分の歩む道が今どこに向かっているか確認できるような、そんな素晴らしい映画だと私は思いました
お子様から老い支度を始めた世代まで楽しめる、国民的名作をどうぞお見逃しなく
http://kaguyahime-monogatari.jp/