「適材を適所に使う」というのは、なかなか難しいもので、いろいろと見ていると、その手腕がないのに塾長や社長になっている人が少なくありません。
ひとつは塾長や社長といった役職を
名乗りたいために、ヒマつぶしのひとつとして社長・塾長に名を連ねているタイプ。
いわゆる「名ばかり塾長」です。
彼らの考えの浅さはどうしようもないものですが、その野心もまた小さいので、
とんでもない悪さをするという心配はありません。
しかし、知らずに来る生徒はかわいそうです。
二つ目のタイプは、
「いい人だが事業経営の手腕・指導知識がまるでない人」
です。
こういう人が社長・塾長になると、塾長・講師の善し悪しもわからず、教え方のおかしいところを見抜くこともできない。
そうなると、知らず知らずのうちに講師がミスを重ねてしまい、自分で犯した罪でないのに救いようがない窮地に生徒まで陥っていくことがあります。
これは、さっきのに比べるとやや罪は重い。
けれども、一つ目のタイプと同じく社長・塾長の地位を利用して故意に悪事をしたのわけではないのは明らかです。
続いて第三のタイプは、
さっきの二人よりさらに一歩進めて、
「塾を利用して、自分が有名になる踏み台にしよう」「私腹を肥やすために塾を利用してやろう」
といった考えを持って社長・塾長になった人です。こういうのは本当に許しがたい悪事です。
このタイプのやり口は、
「生徒単価をつり上げておかないと儲からない」との考えから、講習会料金を吊り上げたり、このままでは合格できないと脅すといったことです。
過去に出してもいない結果を出したように装って、保護者の目をごまかそうとする者もいます。こういうのは完全に詐欺行為です。
彼らの悪事はそれぐらいで収まりません。もっと極端な奴になってくると、会社の金を流用して投機をやったり、自分の事業に使ったりする。ここまできたらもう泥棒と何も変わりません。
さて、結局のところ、こういった悪事というのも、その役職にある人物が道徳に欠けていることから起きる弊害なのです。
もしその社長・塾長が誠心誠意、その事業に忠実であれば、こんな間違いなど
いくらしたくてもできないものです。
こういった人が少しでも心を改めて子どもたちの未来のために力を注ぐ人が増えることを望みます。
『論語と算盤』 渋沢栄一・著から