本日、930日。大型の台風17号が今夜から明日未明にかけて本州を直撃するという。

実は、この台風がなかったら、大学時代の友人Y君とS君の3人で、伊豆の山の方に一泊でキャンプをしに行くはずであった。





Y君は私と同じ仏文科出身で生来いわゆる放蕩無頼な性質だったが、紆余曲折を経て、今は実家の静岡・三島で鍼灸師として地道に働いている。

一方、S君はもともと独文科出なのだが、卒業後トラック運転手をしながら独学でフランス語を学び、現在は東京でフランス語翻訳者として活躍している。



二人とも私に言わせれば、ちょっと“浮世離れした変わり者”なのだが、二人に言わせると、どうやら私の方がかなりの変わり者、らしい。(まあ、仏文、独文などに入るような男連中は基本的に皆変わり者なのだが・・・)



とにかく3人は、20代~30代にかけて、何度か一緒にキャンプをしたり山登りをしたりしてきた旧知の仲だ。



そんな我々3人が、「気候も良くなってきたし、久々に一泊でキャンプに行って焚き火でもしようか」、ということになり、今日の日を楽しみにしてきただけに、非常に残念である。



ちなみに、“キャンプと焚き火”そして、焚き火を囲みながら酒を飲み語りあう、というのは男にとって(最近は男に限らないか?)、本能的に持っている冒険心をくすぐり、非日常の時間を満喫できる大いなる愉しみの一つである。



今回は、ちょうど伊豆あたりが台風の進路にあたり、時間的にもマズかろうということで中止にしたのだが、もし10年位前だったら、台風など何のその、これもまた一興、などと言いつつ決行していたかもしれない。



しかしそこは、ぼちぼち皆50近い大人(この50近いという言葉、自分で書いていて何だか恐ろしくなりますな)。賢明な選択であったと思う。また加えて、自然相手の場合「できるだけ安易で無謀な行動は控えるべし」という教訓めいたものが、過去の山登りでの苦い経験を通して3人の胸に刻まれているからかも知れない。





あれはいつ頃だっただろうか。たぶん、20代後半か30代前半頃だったと思うが(最近、昔の記憶がどんどんおぼろ気になっていく)、Y君とS君と私の3人で、

正月明けに丹沢(丹沢山地。神奈川県北西部に広がる山地)に登ろう!」

ということになり、1月の3日か4日あたりの夕方(既に真っ暗だった)から登り始めたのだが、お互い事前の打ち合わせも適当で、なんと手持ちの食料もごく僅か。確か装備(防寒)も中途半端であったのだが、

「まあ、なんとかなるさ!」

と、今にして思えば若かったというか、甘かったというか。随分と気楽な感じで山に入ったのだった。




ところが、登るにつれて思ったより積雪が深く、そのうち雪に埋もれて完全に登山道も見えなくなり、ほとんど勘だけで方向を定めて、雪をかき分けかき分け登っていった。

「こりゃあ、ちょっとヤバイなあ・・・」



口には出さなかったが、3人の胸中によぎる不安は共通していたと思う。

ほとんど「八甲田山の雪中行軍(死の行軍)」さながらであった。



数時間後。寒さと疲労、不安感がピークに達しようとした頃、なんとか奇跡的にその日の目的地であった山小屋に辿り着いたのだった。



ひと時の安堵感。我々3人は、とりあえず少ない食料を口にして、寝袋にくるまり床についた。

しかし、3人とも何時間経ってもまったく眠れない。極度の寒さのせいだった。



そして迎えた朝。3人はほとんど一睡もできなかった。
学生時代、ワンゲル(ワンダーフォーゲル)部に所属し、3人の中で一番山登り経験豊富なY君が苦笑しながらつぶやいた。

「いやあ、寒さで眠れないなんて初めてだよ。一歩間違ったら凍死だね・・・」

おいおい。



その日は天候も良好。とにかく食料も充分に無いので、とりあえず下山することにした。

途中、廃屋(はいおく)のような山小屋がいくつかあったのだが、それを見たY君いわく、



「ああいう所に死体が転がってたりして・・・。丹沢は標高が高い山はあんまりないんだけど、懐が深いから(道に迷ってしまう)遭難者が多くて、その辺に発見されない遺体がゴロゴロ転がってたりするんだよね」



嘘かまことか。しかし、その時のY君の言葉には、妙に説得力があった。

夕方近く、登り口の秦野方面とは別の、橋本駅方面に下山し、無事生還。いやはや、なんとも無謀な、まさに若気の至りとも言うべき新春登山であった。



だが、その数年後、再び3人で登山に出かけたとき、Y君の身にとんでもない災難が降りかかろうとは・・・。



続きは次回。




★今日の語録: 人生も登山と同じ。低い山でも遭難の危険あり!