ふんわりウイング「忠実な家臣」

 

スターシードの写真家 小原里美です。

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日光の旅↓

続き

 

翌日、徳川三代将軍 家光公の霊廟がある日光山輪王寺の大猷院(たいゆういん)を参拝。

日光の旅で最初に紹介した三佛堂と護摩堂と同じ日光山輪王寺の寺院になりますが、徒歩で15‐20分ほど離れた場所にあります。その途中に日光東照宮や二荒山神社があります。

 

神写©小原里美

大猷院

 

神写©小原里美

仁王門

 

神写©小原里美

御水舎

 

佐賀藩初代藩主 鍋島勝茂(なべしま かつしげ)が寄進した御水舎。

 

神写©小原里美

御水舎の龍の天井画

 

現在は消えていますが、日本画の狩野派の巨匠 狩野安信(かのう やすのぶ)による龍の天井画とのこと。

かつては、天井の龍が下の水面に映り「水鏡の龍」と呼ばれたそうです。

現在は水面を見ても龍は見えませんでした。

 

神写©小原里美

 

水が流れるところが馬の蹄鉄(ていてつ)の形。

奥の斜面に龍と不動明王の像が。

龍の口から水が流れています。

 

神写©小原里美

龍と不動明王

 

神写©小原里美

龍光院

 

上から見た龍光院

 

龍光院は、家光の家臣 梶定良(かじ さだよし)が暮らしたお堂。

二荒山神社別宮 瀧尾神社で紹介した、運試しの鳥居を奉納した方です。

龍光院は一般の立ち入りはできないので、遠くからとなります。

 

主君が死去すると家臣は後追い切腹が当時の習慣だったそうです。

しかし、梶定良は切腹を許されず、家光の墓所の守護人に任命されました。

自身が87歳で逝去するまで47年間、毎朝寅の刻(午前4時)に起きて身を清め、家光がまだ生きているかのように家光の食事(霊膳)を捧げ、境内を警護し続けた。

また、水害や大火が起きた時は、私財を投じて人々を救済したので日光の人々に慕われた。

亡き後は大猷院近くに葬られ、位牌は龍光院の仏間に祀られている。

 

世界遺産 日光山輪王寺 大猷院2へ続く

 

日光↓

 

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