私の人生の「ターニングポイント❗️❗️」2
にお付き合い下さり有難うございますぅ~
さて、播州の街に転勤したとこからですね。
確かに「都落ち人事」なんですが、私達夫婦には思惑が少し有りました。
もう都市部はご馳走様というか?子育てにも遊びにも適していないと思っていました。
どこか地方でのんびりと楽しみたかったのです。
別に大阪のキタやミナミに飲み食いする訳で無ですし。
その点では播州の街は緑も多く有り、映画館等も有り楽しめましたと思います。
問題は私の仕事ですね。
転勤するといきなり私のデスクがないのです。
座る椅子がないんでなくて、立場がないのです。
仕方がないから受けっとた人事ですよ。
勿論部下もいない。
これはショックでしたね。
これは覚悟を決めましたね、売るしかない、と。
それからは自分で言うのもなんですが創意工夫(全知全能)をもって復活を期しました。
これは我が配偶者にしか言っていないと思います。
転勤一年目で田舎の事務所とは言え売上1~2位を争える様になったのです。
ちょっとここで私の難聴の事だけ挟んでおきます。
都市部の事務所時は
①体温計のピーが聞こえない。
②車の指示器の音が聞こえない(出しっぱなしに気付かない)
大体これ位でした(30代後半)
仕事の話に戻ります。
徐々に播州の事務所に慣れて私も元の班長の地位に復活です。
班の成績が良かった時が有って班長として大阪の高級ホテルのパーティみたいなのに呼ばれたことも有りました。
西日本の所長や東京本社のえらいさんが集まって祝ってくれました。
播州の事務所来てから月日が流れました。
加齢は進みます(40代半ばになりました)
セールスマンは若さが必要です。(会社や内容によるでしょう)
何せ22時、23時迄普通に働きます。
難聴も進み若い顧客との会話がしにくくなって来てました。
売れなくなればセールスマンはただの「給与泥棒」です。
仕事納めの年末にはケチな私が部下やパート女子にステーキを自らおごる始末。
自ら役に立っていないのがわかるのです。
でも固定給が皆より高いのはわかっているのであまりに申し訳ないからです。
末期症状です。
刻々とセールスマン生命の終焉を感じてました。
家族は長女がまだ高校受験、次女は中学になった所です。
配偶者と何回も話し合いました。
私に出来そうな事。
私のやってみたい事。
①和歌山の山中に入り「炭焼き職人」
②沖縄に行くが、出来る仕事がない。
③山中に入りきこり。
④介護職
等など、いろんな仕事を考えはじめました。
が、スキルも無ければ。手に職もない。
しまいには他社でセールスをする、なんて私が言い出してました。
妻が冷静に「それやったら今と一緒やろ」と制していました。
確かに(笑)
もう冷静でなくなっていたのでしょう。
今後のことを考えながらも売り続けないと私の机と席は有りません。
私は重箱の隅のモチベーションを探しては仕事を続けていました。
そのモチベーション探しが効いたかその年度は再び事務所内での売り上げ1,2を争っていました。
其のころ、年に一度の所長との面談が有りました。
所長「いい歳やし、そろそろ上を目指さんか❓」
私「はっ、・・・」リップサービスとはいえ初めて言われました。
後ほど考えたら私の成績が上がっていってたからでしょう。
それをきっかけに私が以前から考えている事をぶちまけてしましました。
難聴で顧客との会話が厳しく部下の同行なんかが難しい。
維持管理のグループ会社に転籍させてほしい、と。
所長はびっくりしてたと思います。
「難しいやろうけど何とかしてみるわ」と言って頂けました。
私はその所長を信頼してましたし、彼が誠実なのを知ってました。
しかし全く持って、簡単には事は全く行きませんでした。
ここは長くなるので省略です(失礼おば)
結果、一年後位に晴れて?希望の会社に入社出来ました。
播州に来てほぼ9年の年月がたってました。
すっかり播州人です、笑
この年代を過ぎられた方は理解できるかと思いますが。
40代半ばで異業種なんかなかなか通用しないですよね(勿論、ケースバイケース✨)
この時下手をこいたら間違いなく我が家族は露頭に迷っていた可能性が大です。
今アラカンでバイトの様な仕事をしていると余計に感じます。
炭焼き職人も木こりも私では通用しなかったでしょう。
まあ、ひよっとしてと思うこともたまには有りますが(笑)
ちなみに私は都市部の事務所を逃げ出したカッコとなりました。
逃げ出さなかった同年代の人はすべてではないですが、えらい目に合われた方も多かったです(ここではとてもじゃないですが書けません)
都市部での競争?みたいなのは凄かった様です。
勿論、出世された方も有ります。
私達年代を突き上げた?特に優秀な後輩は中には業界を去ったりしました。
皆、そのころからそれぞれ、バラバラです。
転勤希望という私達夫婦の「生き残り大作戦❗️❗️」は結果として大成功でした。
私は配偶者を戦友と思っています。
彼女も恐らくそう思っている事でしょう。
なんとしても娘たちを成人させないといけない。
「お家を守らないといけない❗️❗️」
大河の鎌倉幕府か❓❗️ 🤣
私のblogタイトル「難聴おじさんの生き残り大作戦❗️❗️」はそこから来てるのです。
(凄い気に入ってます、笑)
後、昔はやった「プロポーズ大作戦」からも頂いてます。
という事で40代半ばで維持管理会社に転籍した、というのが
私の人生のターニングポイントでした。
間違いございません☝️
長文お付き合い頂きありがとうございました。
やはり長くなってしまいました😝(トホホ)
では又
👋👋👋