愛媛に出発❗️❗️




二泊三日。

但し帰りは夜行バス泊。

早朝三宮着予定。

その足で職場に向かう予定。

まるでバブル期のOLのようですよね(笑)

40年前のスキーバス以来かと(笑)

その時は、学生だったから奈良の実家に帰って即寝た覚えが有ります。



兎に角、ア・ラ・カンおじさん体力が持つか❓



前置きが長い❗️(笑)




明石海峡大橋の本州根元?の舞子のバス停より乗り込む。

ここ、利用したかったんです😊

わたくし明石海峡大橋は車で何回も渡ってます。

橋の根元?のバス停で乗り降りしてるのを見るとなんか四国に里帰りかな❓(恋人に会いに)みたいな感じでバスに乗って行かれる。

良いじゃないですか(笑)

テレビドラマに出てきそうで(笑)

あっ、ここ使えますわ❗️

テレビ局の方、要チェック❗️(笑)




地上から橋のバス停迄かなり高く上がらないといけない(ビル10階とか)

エスカレーター等で5分ほど。

ドキドキ❗️


「天空のバス停❗️」(笑)なんちゃって。

写真取忘れてました😝


(以前撮影した明石海峡大橋、参考に。
橋の手前側に舞子バス停が有ります、対岸は淡路島)





バスが来ましたよ。

行き先間違えないように。

運転手と会話(難聴おじさんドキドキ)

聞き取れましたよ。








いざ出発❗️❗️








対岸の淡路島か?


振り向くと神戸須磨アルプスがチラッと




うーん、広大❗️❗️

わたくしいつも運転手なんでゆっくり景色を味わえないですが、今回はたっぷり😊




トイレ付きバスは生まれて初めてです。
トイレって階段を何段か下って半地下みたいな所に設置されてました。

トイレの高さの半分は地下。
もう半分はバスフロアーから腰までの高さに抑えてある、みたいな。
説明分かりにくいですね。


トイレの隣の席からでもちゃんと窓が有り景色が見えるのです。



この設計凄いなあ、と感心。

ミニクーパー(元々はイギリス製今はドイツ製?)の設計の発想に似てるなと。
車の底のスペースを利用して車内空間を広く確保する。
車外からはコンパクトな車と思わせる。実は車内は意外と広い。
乗った事まともに有りませんが(笑)

イギリスの住まいも。
外観はコンパクト、金持ちには見えない。
実は住まいの中に半地下の部屋が有って広々。
実はリッチ。
住んだことも行ったこと無いですが(笑)


脱線しました。


バスに戻ります。

その代わりトイレめっちゃコンパクト😁
兎に角、トイレ付きでないと❗️
皆様私の頻尿はご存じですよね❗️
(以前のblogに少し書いた。)
笑い事では有りませんよ、そこの貴方😬





バス内では
足元もゆったり☝️
よゐこはシートベルト☝️😀
(義務の様ですね、知らんかった😂)



四国上陸〰️



地図添付☝️
ハサミの先(神戸舞子)から出発(笑)
赤エンビツ先(松山)迄。
約300キロ。


三時間半程で松山着(お昼過ぎ)





バスを降りるとそこはでっかい駐車場のマクドナルドでした❗️😂



旅情気分にガツン❗️と。

日本どこ行っても一緒か❓



松山も都会だぞ、と。
県庁所在地だぞ、と。




気を取り直して元同僚と再会。
5年ぶりかも🤗



初日は松山市内観光。
とりあえず元同僚の車で松山城に向かう。
コインパーキングに駐車。
めちゃ安い(笑)



松山城を登る迄に「秋山兄弟生誕地」発見
ここ出来れば訪れたかったんですね☝️



前回のblogにかいた司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」の主人公秋山兄弟の生家です。
(空襲により焼失、その後復元)
こんな感じです。


さて秋山兄弟とは
「貧しくとも志は高くー」



※兄秋山好古氏
日露戦争で世界最強と言われたロシアのコサック騎兵隊を撃退したこと等で有名、陸軍大将に栄進。
日露戦争を中心に書かれている「坂の上の雲」では1番の主役かと(私の主観ですが)


※弟秋山真之氏
日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃滅して日本の危機を救う。
その時の真之氏が加筆した『本日天気明朗ナレドモ波高シ』という有名な電文は皆様も聞かれた事が有るでしょう☝️
俳人正岡子規(同じく坂の上の雲の主役)とは中学校以来無二の親友。
あまりにも有名な「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」
ちなみに「古池や蛙飛び込む水の音」は松尾芭蕉。






なぜ普段あまり小説を読まないわたくしが「坂の上の雲」を読んだか❓
記憶をたどると、松山にゆかりが有るからではではないと思います。
当時世間?で「日本の近代史を勉強しなくてはいけない!」
「中学高校でも年度末の学習で時間がなくて飛ばし気味だ!」
と、批判が出ていたと思います。

わたくし先の戦争後の事は父母からもそれなりに聞かされていて何となくわかってるつもりです。



が、戦前、明治大正がピンと来ない。
ので、読み始めたかと思います。

なぜ先の戦争をおっぱじめた理由もわかるかな?と。



リーフレットを写した文章に「貧しくとも志は高くー」というのが有りました。

「日本には金が無いが欧米諸国に追い付け」と秋山兄弟のような志のある先人がマンパワーで欧米諸国等とやりあっていたのでしょうか❓

歴史を語れるにはほど遠いわたくしですが、小説から感じるものは有りました。





中々、松山城に登れません❗️❗️(笑)



参考に〰️(聞いた事のある名前が有るでしょうか?)

(私は行けてません!爆笑




では、続きは又👋👋