先日、小学校の同級生(3人)と飲み会があった。
すでに、それぞれ中年(50歳台)である。
主催はN君。ゲストはT君。ワタシM。
T君は以前からの自論を展開した。
その中身は「老後は京都で隠居暮らしをしたい」であった。
その考えには、N君もワタシMも異論はない。
ところが、T君は地元の付き合いが、いやだから、
そう考えている節がある。
ある意味、世間との付き合いが苦手らしい。
ワタシMもN君もそれには、同感である。
町内会等の付き合いには、いろいろ思うところがある。
でも、ワタシMもN君も、地元から離れることは出来ないと、考えている。
T君は「しんどい付き合いは、したくない!」と、
極めて正直な意見を発していることは、充分理解できる。
でも、N君は言った。 「それは逃避だ!」と。
実は、この言葉は、ワタシが以前からT君に、それとなく言っていた。
でも、今回N君により、はっきり明言されたが、
さて、T君はどう?考えるのだろうか。
そこで、皆さんの意見を聞きたい。
いま、日本は「自由を謳歌する」ことに対して、寛容です。
逃げたい人は、自由に逃げればいい・・・と、ワタシMは考えます。
でも、その先にあるのは、何なのか?・・・教えて欲しい。
逃げたくても、逃げる事が出来ない現実を受け入れてこそ、
次の自分探しが始まると、ワタシMは考えていますが、
どうですか?。
自分ひとりで生きているという、誤解?
がまねく悲劇が見える気がします。
地域社会とは、ある意味面倒な社会です。
でも、真剣に受け入れる気構えがあれば、
こんなに、「暖かい人との付き合いがあるのか!」とも、思います。
「暖かさ」を受け入れるのか、「逃避」を選択するのかは、自由だ!。
地域の人の「温か局面」を知らずに、逃避を選ぶことの短絡さを、
反省して欲しいとワタシは思う。
地域社会との付き合い経験を踏まえてこそ、明日の日本を
自信を持って「語る」資格が持てると、考えます。
極めて個人的な考え方ですが・・・。