若い頃、周囲は当たり前のように子を作っていく中で、自分だけができない、焦りがあった。
ある時期から、望んでも得られないものがあることを、徐々に受け容れはしていた。
私はあまり身体が丈夫ではない。
大体人生で望んで得られなかったものは、身体の悪さが邪魔をしていた。
いっそ致死的であっても、明確な病気の方が、意味不明な虚弱よりはるかにましだと、何十年も思っていた。
身体は思い通りにならないのに、健康体と同じ市場で競争させられ、バブル世代が吸い尽くした燃え殻みたいな社会に放り出され、軽くこの世に絶望していた。
希望のなさは、不妊のつらさを、逆に和らげてくれてはいた。
好きではない世に、残すものはむしろ、ない方が良いだろう。
それに、こんな身体なら、産めない方が自然とも感じていた。
育てられる状態じゃないから、孕まないのだろう。
仕事では、子どもたちと接することも幸いにして、多くあった。
ヒトは社会的動物だ。
ある程度の年齢になると、次世代を育てたいという本能的欲求がある方が自然で。
そこも、環境的には、相当恵まれていたと思う。
そんなこんなで、比較的、自分を納得させながら、長く生きてきた。
なので、成功するかわからない、もはや記念妊活みたいなことをやったところで、世界の見え方は、変わらないと思っていたのだけれど。
私の場合は、「不妊治療すら取り組めなかった私」というところに、傷があったのかもしれない。
車を運転していたら、前の車に
BABY in CAR
のステッカーが貼られていた。
無意識に、す・・・・っ と
いつもなら目線をそらしているのが、直視できている自分に気づいた。
こういう表示、もしかして、ずっと目をそらしてきたのか?
電車でも
ベビーカーや、子を抱く夫婦も、不妊に苦しんだ22年で、初めてといっていいほど、直視できた。
やはり、す・・・っ と、目をそらしてきた自分がいた。
不妊仲間と昔話していた時。
妊婦さんとか、乳児連れの親子を見ると、やはりざわついたり、きついよねと。
でも小学生くらいに育ってくれると、平気だよね、何でだろうと。
だいぶ昔の話なので、自分のそれは、ダメージがもう、全くないと思っていた。
キューブラ・ロスじゃないけれど
私が受容していたと思っていた状態は、まだ、諦めでしか、なかったらしい。
そしてそれらは少なくとも、ただ不妊治療に取り組むだけで、私は改善することができたらしい。
既にそうした意味では、取り組んだ価値はあったようだ。