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俺のことを知っている人はどれ程いるだろうか?
俺のことを説明できる人はいるだろうか?


というのも俺は自分を語らないからだ。


自慢気に聞こえて気分を害する人がいるなら申し訳ない。


話を戻して俺は自分を語らない。
正確に言うと語れないのだ。


簡単に言うと未来が分からないんだ。


例えば仕事の話で。


俺は新宿某所の飲み屋で働いていた。
2年半勤めて辞めた。


理由は2つ。
ひとつは俺の本職を辞めるから。
もうひとつは俺の地元が震災にあったからだ。


周りからは色々意見をいただいた。
有り難いという気持ちと共に本当に俺に対して言ってくれてるのか?という疑問の気持ちで半々だった。


それは俺に責任がある。それが自分を語らないこと。


その結果が俺という人間ではなく、俺の同世代に対してのアドバイスになったわけだ。


実はやりたいことがないわけでも、行動を起こさなかったわけでもない。
実はここに俺が何も語らない理由がある。


つまりは「結果」がでてから報告したいのだ。口だけで終わりたくないのだ。


今こうして浅草で働いている。飲み屋で辞める時には想像もしてなかった。
地元に戻って…くらいな感じだった。だから未来は分からない。


お世話になった人には報告したい。ただ結果がでてから。希望・願望だけを口にするだけではまやかしに過ぎない。それまでは語らない。


俺が心を閉ざして見えるのは無理もない。そういう理由なんだ。ある意味頑固なんだ。


未来が分からないといった俺がひとつ願望を述べたい。


「今まで貧乏と馬鹿にしてきたやつ。絶対、稼いでやるからな!」
こういうこともたまには言っておきたい。


何年前だろうか?
俺には劇的に好意を寄せていた人がいた。


出会いは新宿のビアガーデン。俺がキッチンで彼女がホールでアルバイトをしていた。


最初の印象は特になにもなし。話し方にクセがあるな程度だった。


その頃の俺は大学を中退し、新しい学校に入り直し学費なんかを自分で稼ぐので精一杯。


だからいつもいっぱいいっぱいだった。


そんな時に彼女は声をかけてくれた。
「どうしたの?」と聞いてくれたり、いきなり「ファイト!」なんて言ったりしてくれて俺の中では大きな存在になっていった。


ビアガーデンもピークを迎える8月。
この上ない忙しさにも関わらず、俺は休みをとった。
理由は彼女の誕生日だからだ。


新宿のとあるカフェで待ち合わせ。
普段はユニフォームでしか会わない俺と彼女もこの日はお互い私服。俺は当たり障りのない格好で彼女はワンピースに麦わら帽子。普段とは違う彼女の一面に俺の心は揺れ動く。


そこから俺と彼女はお互いの事を話はじめた。
彼女が俺よりも2つ年上だという事、彼女がナースでそして今年辞めるという事、彼女の父親が危篤状態であるという事、それからお互いの価値観や過去について。


いろんな話をした。いくら時間があっても足りなかった。
そして次第にお互いの距離が近づいてたのを気づかないふりをして誤魔化していた。


カフェを出てプレゼントを渡した。彼女が好きな観葉植物をあげた。彼女はとても喜んでくれた。
なんとなく歩きだす2人。次第に会話もなくなり沈黙が流れる。正直、このまま一緒にいたかったけど俺は


「今日は解散しようよ。ゆっくり休んでまた明日会おう!」と言って解散した。


その日の夜、一通のメールが。彼女からだ。
メールの中身はプレゼントのことから感謝の言葉とあった。そして一番最後に。


「今度から下の名前で呼んでね!」


と書いてあった。俺はこれが本気なのか冗談なのか分からず、うやむやにしてメールを返した。


そして答えの出ぬまま次の日を迎えた。


いつもよりも早めに出勤した俺、そこに彼女が現れた。俺は、


「昨日はありがとうございました!」
と彼女の名字も名前も言わずに話かけていつかそれが当たり前になってしまった。


時は過ぎ10月。ビアガーデンも終わりを告げた。


あの後、俺は距離を置いた。彼女もそれを察したのか前よりもお互いぎこちなくなって終わった。


その後、ホールの先輩と飲みにいく機会があった。先輩が言う


「彼女、好きな人ができたって俺に言ってきたんだ。俺は君のことだと思ってるんだよね。」と。


逆に俺も思った。俺も好きな人ができたと。


しかしビアガーデンも終わり会えなくなった。俺は新しいアルバイトをはじめ、彼女は父親の看病の為に静岡に帰ってしまった。


何らかの磁力でお互いまた出会ったら言ってみたい。
ずっと好きだった。
この言葉。その時の彼女の顔が楽しみだ。


俺が住むこの街ではかの有名な浅草寺がある。


歩いて5分の距離なので、毎日 散歩がてら賽銭をしにいく。


ただ“毎日”なので賽銭額は 1円 に決めている。
額より続けることに意味を見いだしたからだ。


先週の休日あたり昼の観光客の行列に並んで賽銭待ちをしていると


俺の真横にいた子供が泣き出した。
もう疲れちゃったのだろう。母親らしき人物が抱っこして落ち着かせようとしているがいっこうに泣きやまない。


それが続いて5分程たちようやく賽銭箱が目の前にきた。
子供がうるさい泣き声ともようやくおさらば。
俺が高々と1円玉を放りなげる。


そして手を合わせ目をつぶる。集中してると何も気にならなくなるもんだと目をあけて子供のほうをチラッと見る。


子供はいつの間にか泣き止んでいた。
ただ、それと引き換えに。


「あの人 1円 しか入れてないよ?」


と母親らしき人物に言ってるのが確実に耳に入った。
母親らしき人物はそれを察したのか、俺に会釈だけをして賽銭せずに子供を抱えていなくなった。


子供を泣き止ませたのが母親でも神様でもなく俺だったのなら、1円賽銭に意味があったのだろう。


ひとつ言っておくがこれ以来、賽銭するときを人目のつかない真夜中に変更せざるを得なかった事は言うまでもない。