誰でも東大に合格する方法は、ひたすら勉強することだと言いました。





亀の歩みは鈍くとも、歩み続けていれば長い距離を進めているものです。
量を積み重ねれば重ねた分だけ力になることは間違いありません。

その積み重ねが膨大だからこそ、そんなことできるかと否定しがちとなるのですが、それでも積み重ね続けた人が合格しているわけです。



最近の「伸びている中高一貫校」と俗に言われるような学校は基本これです。

入学時の偏差値は高くなくとも、東大合格者を多く輩出する学校。

授業内容が素晴らしいとか、子どもたちの自主性を重んじて結果を出しているというところは少ないでしょう。
ひたすら子どもたちに課題をこなさせる、勉強させることで結果を出しているわけです。

受験少年院という言葉まであるようですし。


東大合格者を多く出すようになれば、自ずと入り口の偏差値も高くなっていきます。
そうして、難関校入りした学校も少なくありません。


学校側は経営改革の一環として、親は子どもを難関大学に行けるようにしてくれたからとして。

お互いにwin-winです。

子どもにとってその選択が良かったかは別として。





大手進学塾もひたすらの勉強を推奨します。

それが確実だからです。


大手の塾は個人塾と異なり、マニュアル化された、システム化された授業となっています。

当たり前です。
たくさんの人に出来る限り同じものを提供しようとなれば、画一化されたものが必要です。

その中で多くの難関校への進学実績を叩き出そうとなれば、個人の資質特性に一々合わせていては対応できません。


「誰しもがそれをこなせば出来るようになるもの」を提供することが最上になります。

その間違いなく誰しもができるようになるためのものに必要なのが、「ひたすら勉強」である「努力」なわけです。


だから、塾の課題はひたすら多くなっていきます。
全部やって、理解できて、解けるようになったら合格できますよと。

それほど多くのことが出来ていれば、難関校なんて簡単ですから。




とは言え、ひたすら勉強することを求めても、東大には行けません。


東大に行くことを求めてひたすら勉強するのであって、ひたすら勉強することで、東大に行けるのではないです。

言葉遊びみたいにはなってますが、ここが凄く大切なことなんだと思っています。


目的がしっかりとしているか。


ゴールが見える努力はしやすいですが、ゴールが見えない努力は辛いものです。


進学校はそこがハッキリとしています。

「自分たちは賢い、東大、京大は当たり前」

そういう雰囲気が入学した当初より漂っています。
このライン以上にいれば、そこに行けるという指標を教えられ、それを信じていますから、それを達成できるように努力し続けます。


人によっては努力しているという感覚もないかもしれません。
目標達成するために必要なこととして、当たり前にこなしてしまっていることも少なくないでしょう。



目標を定めることさえできれば、頑張りさえすれば誰でも東大に合格できてしまうわけです。




東大と言えば尋常なく賢い人が行くところだったのでしょうけど、このように計画的に頑張れば誰にでも合格できてしまうようになってしまいました。

これは凡人にとっては大きなチャンスだったわけです。
何も持ってなくとも勉学に本気を出せば、日本最高峰の肩書や人脈などを手に入れることができるのですから。

しっかり努力した分だけ結果が付いてくる以上、我が子を東大に入れたがる親が増えて当然でしょう。




けれど、この誰にでも合格できるというのが、ある意味で日本の国力を落としてしまっているのかもしれません。


努力して勉強して成績が上がったというのは、素晴らしいことです。
東大に入れるほどの勉強量となれば、それは恐ろしいほどの量になります。
それを頑張ってこなしたということは、それ自体が才能と呼べるのでしょう。


ですが、誰でも出来てしまう程度のところから、この国を前進させる知への探求者がどれだけ生まれるというのでしょうか?



もちろん、凡人には才能がないから無理だという話ではありません。
凡人であっても東大に入って何を成したいのかというのがあれば、努力するというのは立派な才能として成り立ちます。

でも、東大に入ることが目的でしかなく、それに向けて頑張ってきた人たちにとっては、東大に合格しておしまいになるんです。


肩書が欲しいだけですから。
多くの子どもたちが就職予備校としての価値しか見い出せなくなっている。



がっちり管理して先取りの勉強させて東大合格者を増やしている学校は多くなりました。

その分、受験までに授業か終わらないというような地方公立の、勉強せずとも賢い奴らが東大に行けなくなってしまっていくのでしょう。




こうして、それこそ頭が賢く東大で何かを成したいと思う人間が東大に入らなくなるようになることで、最高峰としての高みが低くなる、ひいては国力の衰退へと繋がっていくのかもしれません。