1980年代突然現れたエイズ。そしてそのエイズ治療薬を、世界で初めて開発したのが日本人ドクター
エイズの治療薬とは?
HIVというウイルスが体内に入り込んで、発病したらなるのがエイズ、その発症前に増殖を抑える薬を開発した。
エイズ治療薬を開発した日本人のその苦難と、命をかけた戦い
1981年突如地球上に現れて、世界を恐怖に陥れた感染症エイズ
人体に入り込んだHIVウイルスが体内で免疫細胞を破壊し、さまざまな病気を併発させる、全世界で5000万人が感染し、内1600万人以上が死亡。国内でも、輸入した非加熱血液製剤でも約1800人が感染、現在も大きな問題となっている。
そのエイズの治療薬を開発したのが日本人医師だった。
それが満屋裕明(みつやひろあき)、この人が多くの患者の死の恐怖から救ったのだ。
1980年、アメリカ国際衛生研究所にいた満屋に、ある日所長がこんな事を言った。
「満屋君、エイズの研究をやってくれないか」
「僕がですか?」
このころ、まだエイズは手をつないだだけでもうつると言うデマが流れていたほど、感染経路も分からず、恐怖の病とされていた。
発生から3年経っても、その正体は発見されず、治療薬もなし。
エイズ研究は「魔の海域に船を進めるようなものだ」と言われ、誰も携わる事を嫌がっていた。
ところが・・・
「僕にやらせてください。」
こうして満屋はエイズを発症させるウイルスHIVの研究所を立ち上げ、治療薬の開発にしんけつを注いだ。
しかし、そこには予期せぬ障害が次々と待ちうけていた。
「エイズの研究なんて、もうごうめんだ。自分だっていつ死ぬかわからない。辞めさせてもらうよ。」
「妊娠しているの。エイズの研究なんて、もうできないわ」
同じ研究チームのメンバーでさえ、死の恐怖にさいなまれ次々と去って行った。
そしてさらに
「すまない。この研究所をこれ以上貸すことはできない。他の研究員に感染したら大変だからね。」
結局研究所を追い出されてしまう。それでも彼はあきらめなかった。
早朝や深夜に研究室を借り、満屋は感染する危険を顧みず、一人研究を続けた。
ここまで彼を駆り立てたものは、ある患者の出会いだった。
エイズの治療薬とは?
HIVというウイルスが体内に入り込んで、発病したらなるのがエイズ、その発症前に増殖を抑える薬を開発した。
エイズ治療薬を開発した日本人のその苦難と、命をかけた戦い
1981年突如地球上に現れて、世界を恐怖に陥れた感染症エイズ
人体に入り込んだHIVウイルスが体内で免疫細胞を破壊し、さまざまな病気を併発させる、全世界で5000万人が感染し、内1600万人以上が死亡。国内でも、輸入した非加熱血液製剤でも約1800人が感染、現在も大きな問題となっている。
そのエイズの治療薬を開発したのが日本人医師だった。
それが満屋裕明(みつやひろあき)、この人が多くの患者の死の恐怖から救ったのだ。
1980年、アメリカ国際衛生研究所にいた満屋に、ある日所長がこんな事を言った。
「満屋君、エイズの研究をやってくれないか」
「僕がですか?」
このころ、まだエイズは手をつないだだけでもうつると言うデマが流れていたほど、感染経路も分からず、恐怖の病とされていた。
発生から3年経っても、その正体は発見されず、治療薬もなし。
エイズ研究は「魔の海域に船を進めるようなものだ」と言われ、誰も携わる事を嫌がっていた。
ところが・・・
「僕にやらせてください。」
こうして満屋はエイズを発症させるウイルスHIVの研究所を立ち上げ、治療薬の開発にしんけつを注いだ。
しかし、そこには予期せぬ障害が次々と待ちうけていた。
「エイズの研究なんて、もうごうめんだ。自分だっていつ死ぬかわからない。辞めさせてもらうよ。」
「妊娠しているの。エイズの研究なんて、もうできないわ」
同じ研究チームのメンバーでさえ、死の恐怖にさいなまれ次々と去って行った。
そしてさらに
「すまない。この研究所をこれ以上貸すことはできない。他の研究員に感染したら大変だからね。」
結局研究所を追い出されてしまう。それでも彼はあきらめなかった。
早朝や深夜に研究室を借り、満屋は感染する危険を顧みず、一人研究を続けた。
ここまで彼を駆り立てたものは、ある患者の出会いだった。