長い釜山の夜があけて、船は長崎に着きました。

昔の歌にあるように「長崎は今日も雨だった」というバターンは確かによくあります。

前回は去年、家人の実家の処分の時に足を延ばしましたが、初日はやっぱり雨でした。坂の街に雨はよく似合う・・と思ったのは何十年か前まで。傘傘

 

 

年と共に坂が、雨が、億劫になり「こんな歌流行るから雨ばっかりなのよ」とクールファイブ諸兄に文句のひとつも言いたくなるのです。

今更言っても、詮無いことではありますが・・てへぺろニヤリ新幹線後ろ

 

この日はホライゾンコートで早めに済ませて、下船の用意ももう慣れたものです。

船で長崎に入ると、入り組んだ港の複雑さがよく判ります

 

この船はここで造られたそうです。

遠い昔から、ここは大きな船の母なる胎内なのです。

静かに停泊する姿は、子宮に戻った安定の姿のようにも見えます。

三菱造船のお膝元の長崎湾に奥深く入るプリンセスダイヤモンド。

ちなみに命名は当時の三菱造船の社長夫人だか会長夫人だかが、されたそうです。

 

 

遠い昔から、ここは大きな船の母なる胎内なのです。

 

静かに停泊する姿は、子宮に戻った安定の姿のようにも見えます。

入港の松ヶ枝国際ターミナルはホントに街の真ん中。目の前を市電が走っているようなところです。

グラバー邸にも近く、目の前はちゃんぽんの名店「四海楼」も目の前です。なので、大浦天主堂もすぐそこ。

こんな至近距離にいろいろな名所があるということは、やっぱりここは海運の街ということなのでしょうね。

 

ここでは殆どの人は、市電の駅まで歩きます。ぞろぞろと巨大な観光ツアーのような光景。

狭い市電の待合は人が溢れていますが、私たちもこれに乗って、平和公園に行く予定です。

去年長崎に来た時は、原爆記念館に行きましたが、あいにくの雨で、平和公園は断念したのです。

 

 

もちろん私はもう何回も訪れています。花火ジンジャーブレッドマン

最初に原爆記念館に来た時は、古い公民館みたいな建物で、展示物も丁寧に置かれているとは思えない見せ方でした。そのぶん、手を伸ばせば原爆に千切れた衣服の切れ端にさえ触れられそうなほどの展示の仕方でした。

 

小さかった息子は、あまりのリアリティに途中で気分が悪くなって、しばらくはトラウマのように時々フラッシュバックした時期があると、後年、申しておりました。

私はそれにはまったく気づかない母でしたけどね。

 

それが近年は建物も立派になって、展示もとても丁寧で大切にされるようになりました。絶対に手は触れられませんし、立体的であったり、AIに説明させたり、とてもソフト。義理チョコお母さん

 

これでは、子供もトラウマになることはないでしょうが、迫力や説得力という点においては、比較にすらなりません。

記念館で熱心に説明文読んでいるのは外国の人たちばかりで、日本の親子は説明を読みもしない。物を考察もしない、お父さんやお母さんと笑いながら、楽し気に見て回っている姿を見ると、複雑な心境になったものです。

 

さて今回のことです。

市内電車に乗って平和公園で降ります。長崎の市電は古くて小さいですが、乗り降りにカードが使えたり、一日乗車券などもあってすごく便利です。地下鉄バス

そしてわが町に市電はありませんので、こうした乗るのは楽しいです。

 

平和公園前で降りると、長いエスカレーターにはもう帰り支度のクルーズ客も沢山います。早く動く人は動くんですよね。

ちなみにお風呂で知り合った埼玉の理科の先生ご夫妻は一番に降りて、レンタカーで佐世保に向うそうです。

市内から佐世保まではかなりありますが、夫さんがお城フェチなので、素通りはできないと言います。

なので、境港でもレンタカーで松江城と思っていたらしいのですが、バスの乗り合わせが悪く断念したと言ってました。

さすが先生ペア。計画的で合理的。ただ、こんなハードな計画に奥さんよく付き合うわねという私の意見はここだけの話です。ガーンてへぺろ

 

私・・私なら、ムシ それだけですね。行くなら一人で行って。

 

 

公園は広くて綺麗で、平和の像以外にもたくさんの彫刻オブジェが並んでいます。

泉のほとりの彫刻者は、まるで印象画のシーンのようではありますが、周りは殆どが修学旅行生。小学生から高校生まで、多種多様。

先生のいう事聞くグループ。無視するグループ

見ているだけで面白いです。

 

そして青銅色の像の目の前に立ちます。

剝げたような色合いは、そのままでしたが像はなんだか一回り大きくなっているように見えました。もちろんそんなことはないのですが、私が小さくなったか・・

 

高く掲げた右手は原爆の脅威を。水平の左手は平和をと示された両手は、その責任の重さと、守り切れないかもしれない核の脅威に畏れ慄いているように見えました。

 

かつて私はここと、永井博士の「如己堂」を長崎に来るたびに訪れていたものでした。ちいさな住まいを、己の終の棲家として、祈り語り残した博士を心から敬愛しておりました。

それが、堂が撤去され、私の身の上にも月日の変化があり、もう一度と思った時にはもう、行くべきところを失くしたような気になりました。その間ながらくここに来ることはありませんでしたが、去年ようやくと思ったら、今年もこんな機会に恵まれて、永井博士の本をもう一度読みたくなりました。

 

 

平和の像は、綺麗に高尚になってはいましたが、少し遠くなった気もしました。修学旅行生の嬌声が悪いとは言いませんが、ここは慰霊の地です。

知らない子供たちには、せめて先生が最初に一声かけてやってくれませんか。

 

私は愛国者ではありませんが、先の大戦で罪なき身でありながら戦争に死した人たちを、悼む気持ちは持っています。

でも、それはもう個々の中だけに生きるものになっているのかもしれませんね。

 

そんな様々の思いの中で、久しぶりに「浦上天主堂」も見ることができました。

少し離れた公園から見ると、その全景が見えますが、これがそうだったのかと、自分の記憶に自信が持てません。

歳をとるとこうして過去の記憶と現実の乖離に慄く日がいくつもあるのでしょうか。

 

後ろ髪惹かれることもなく、また市電に乗って「新中華街」に戻ってきました。

私は、ちゃんぽんは「四海楼」と決めているのですが、去年も来たので今回は中華街で食べようと思っていました。ラーメンラーメンラーメンナイフとフォーク

 

中華街の入り口に行くと、もう修学旅行の中高生が並んでいます。時計を見ると11時5分前。いい時間ですね。私たちの前は男子中学生のグループ。その前は女子中学生グループ。その前にも人がいる。これはなかなかいるぞ。と、ちょっと不安。

 

「ここ美味しいんですか?」と前の男子中学生が聞いてきます。なかなかハンサムな子。

 

「そうね。30年くらい前は美味しかったわ。量がたくさんで君たちにはちょうどいいんじゃない?」

 

「さ、30年まえ・・」

 

・・君たちにとっては歴史的時間であったか・・

「君たちどこの高校?」

 

「いや。中学生です。東京です。」

 

いやいや大人びて、対応もこなれています。さすが東京の子。

「そうなのね。私も観光客だから最近の味は知らないけど、30年前に来た時は、再度オーダーしょうとしたら、仲居さんにちゃんぽんたべてから決めてください。たくさんありますから」と言われて、ホントにたくさんでサイドオーダーしなくてよかったって思ったわよ。」

 

「仲居さんってなんですか?  ヒトの名前?」

・・・今時の中学生は仲居さんを知らないのか。それとも私の発音が悪いのか。

 

「お店で運んでくる人よ。ウェイトレスさんみたいな人」

 

「おー。おー。ラジャー」

なんとも人なつっこ中学生軍団。

もう開店というときになって列が動いてガラスケースが見えたとたん彼らが集まって相談しています。

 

「あ、もう俺ら違うとこ行くんで前つめていいっすよ。」

 

「あら、どうしてよ。もう開くのよ」

 

「高いっす。俺らみたいな中坊が食べられる値段やないです。もうちよっと安いとこ探します。」

 

」私が次の言葉を探しているうちに彼らは、バイバイと手を振って走り去っていきました。

じつに爽やかな去り際。きっと女の子泣かせる男になりますわよ。彼ら。キョロキョロおねがいおねがい

 

私が彼らと話している間、黙ってみている家人ではありません。彼はしっかり前の高校生たちに話しかけて、仲良くなっていました。高校生はこの値段、食べられるみたいですね。

 

私たちはもちちゃんぽん。そしてサイドオーダーはやめときます。

彼女らは少し奥の四人席。彼女らのオーダーが終わったのを見計らって家人が私に囁きます。

「ねぇ、彼女らに焼売ごちそうしたいんだけどいいかな?」

 

・・・・こんな時代です。おじさんが若い女の子に過剰に接していると、下心あるなしに関わらず疑われるのは必至です。チーン

 

「いいんじゃない。もし不審がられたら、私か゛隣でにっこりしてあげるわる」こういう時には協力してあげましょう。

正直ちゃんぽんは、昔の味とは違っていました。四海楼に行けばよかったかなとちょっと思いました。

 

そして半分ほど食べ終わった頃、仲居さんが「できましよ。今からお持ちしますので」彼女には、女子高生の席に焼売持って行ってとは言ってます。

それで声をかけてくれたのです。

 

「急に黙って持って行ったらびっくりするわよ。一言声かけておいでよ。」と言うと

家人は嬉し気に「そうだね」と。

 

そして焼売と一緒に彼女らの席に行きました。しばらくしたら、かわいい歓声。

どうやら拒否はされなかったようです。

家人も満面の笑顔で帰ってきました。

「喜んでたみたいね」

 

「うん。すごく喜んでくれたよ。彼女らは御前崎の高校生らしいよ。」

「そう。いいことしたじゃん、おじさん」

 

むすこが小学生や中学生で一人旅をしていた時は、見知らぬおじさまやおばさまにはいろいろとお世話になりました。

「お母さん心配してるよ」とテレホンカードをくれた方は何人もいます。

お昼をご馳走して貰ったり、目的地まで乗せてくださったり、おみやげ持たせてくれた時もあります。チョコがけハート義理チョコプレゼント

 

今はそれがいいか悪いかは判断に迷う時代ですが、少なくもこの経験は息子にも、私にも親としてのいい経験をさせてもらいました。

 

受けた情けは、次の誰かに返すのは自然の摂理です。今はそれが安易にできない社会であることが残念ですが、それくらいの配慮は私にもできます。

 

折角の行為がお互いの、不利益にならないようにと心がけてはいるつもりです。

それにしても、あの東京の男子中学生にもなにか手助けしてあげればよかったな。折角長崎に来てるのにとは思いました。

でも、その反面、そんな私のおババのお節介を、与える暇もなく、鮮やかに去って行った彼らもカッコいいです。立派な大人になってくださいね。あなたたちならなれます。去り際のきれいなことは男の条件です。

 

 

私たちがちゃんぼんを食べ終わって、家人がレジに行くと、件の女子高生の中の一人がすくっと立ち上がって、レジまできて「さきほどはありがとうございました。」ときれいな礼をしてくれるのです。

 

 

いやはや、爽やか・・

 

しかも四人一緒でなく、代表一人でくるなんて場も心得ています。

「いえいえ。どうぞゆっくりたのしんでね。」

感激で声の出ない家人に変っていい役は私(笑)

「はい。」もう一度礼をして彼女は席に帰っていきました。そして席から三人が会釈してくれます。

私たちも会釈して、レジの仲居さんもにこにこして、本当に素敵な時間でした。

 

お店を出て「あなたもたまにはいいことするわね」と家人に言うと

「ボクはいつでもいいことばっかりしかしないよ」と、ほらを吹きながらも、うれしそうです。

狭い中華街をそぞろ歩きながら「日本の将来もあんがい悲観したものでもないかもね」と言い合いながら、珍しく穏やかな散歩が続いておりました。。。

では、次も長崎編です。。。

 

 

今日は2025年の大晦日です。9月にブログを始めて、長い長い旅日記にお付き合いくださってありがとうございます。

来年も、このかんじで進める予定でおります。どうぞよろしくお願いいたします。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。。。

 

 

 

 

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