引越しをして完全に独立してからは、月に2日の休みだけで時間の感覚が狂うほど働きました。
そうすれば毎月17万円ほどは稼げるからです。
バイト先でも休まない、土日祝も進んで出勤してくれるということで重宝されていたと思います。
とにかく昼の職を失いたくない一心でした。
体調は正直悪かったです。
投薬で何とか持ちこたえてはいましたが、一向に投薬量が減る気配はありませんでした。
それでも自分一人で稼いで、誰にも頼らずに生きているという達成感は計り知れませんでした。
完全に独り立ちをして1年も経たずに、アルバイト全員が所長からの個人面談を受けることになりました。
呼び出されて戻ってきたアルバイトは、主婦パートの方々以外は暗い表情です。
私の番がきて、所長室に入りました。
面談の内容は、翌月から出勤日数が一気に減らされるというものでした。
他の営業所に労働基準監督署からの指導が入り、その対策として全員土日祝日の日数分は必ず休ませるという内容です。
時給780円でどれだけ働いても、アルバイトに残業代を支払う概念のないブラック企業からもらう日当は6,240円。
月に22日働いても137,280円。
そこから数千円の所得税を引かれます。
2月や5月のように稼働日数が少ない月になると、もうカツカツどころではありません。
主婦パートさんが全員休み希望を出すからという理由で、独身者は原則土日祝と年末年始は出勤してもらうとも言われました。
その条件が呑めないのであれば辞めてもらっても結構と。
どうしよう?
家賃や光熱費、住民税や国民保険料を支払うと5万円も残りません。
国民年金はずっと低所得を理由に免除手続きをしていましたが、いつからか全額免除から半額免除となり、気が付けば1/4免除となっていましたが、これからはその国民年金も支払えそうにありません。
病院代は月に1万円近くかかりますので、国民保険を支払わないという選択はありません。
出勤日を減らされてからは、本当にカツカツの生活でした。
アパートでは全く照明を使わないようにして、共用通路からの明かりを頼りに料理をしていました。
外食なんて夢のまた夢。もちろんコンビニ弁当すら買えません。
たまたま通勤経路に業務スーパーがあったので、お米や食材は全て業務スーパーで調達して、そのお米を節約するためにお粥にしていました。
半年ほどそんな生活を続けてみましたが、もうわずかばかりの貯蓄も底をついてお手上げになりました。
ああ、もう死ぬしかないのかな・・・。
とにかく収入を増やそうとコンビニへ行ってアルバイト情報誌を立ち読みし、めぼしい会社へコンビニの外の公衆電話から電話をするという迷惑な行為を繰り返し、10件以上電話をかけてようやく面接をしてくれるというところがありました。
車で10分足らずの場所にある、モールの中の子供向けゲームセンターです。
ボールプールがあって、常にアンパンマンのテーマソングが流れているようなお店です。
さっそく面接に行き、フルタイムの枠は埋まっているということでしたので、週に1~2日だけ平日に働きたいと伝えるとありがたいことに採用をしていただきました。
時給880円!すごいっ!!太っ腹!!!
それから1年近くはWワークを続けました。
このブログの存在を知っている友人は、このアルバイトの同僚です。
Wワークのおかげでまた少し貯蓄をすることができました。
初めは全く違う業種ですので気分転換にもなり楽しかったのですが、どんどんと体調が悪化していってしまい、ついにまた入院をすることになってしまいました。
それも初めて手術を受けることになったのです。
入院の見込みは約3週間。
まずはすでにすっかり中堅アルバイトとなっていたブラック企業に伝えなければなりません。
色々と調べてアルバイトでも有給休暇があることを知り、所長に約1ヶ月の休みが欲しいことと、できれば有給休暇を使いたいと伝えると、アルバイトで有給休暇なんか聞いたことがないと一蹴されました。
1ヶ月の休みは仕方がない、ただし延びるようなら働きたい人間はいくらでもいるから進退を考えるようにとも言われました。
次にWワーク先のゲームセンターへ伝えると、一旦退職の形を取って体調が戻ったらまた応募してみてと言われました。
今の時代では考えられませんが、当時はどちらの対応も仕方がないと思えるような時代でした。
次のハードルは入院の保証人です。
今回は全身麻酔の手術になるから親族と一緒に説明を聞いてほしい、と病院からは言われていました。
困った私はゲームセンターの友人に相談をしました。
彼女が出してくれたアイディアは、彼女が私の姉を装って説明を受けて手術同意書に押印するというもの。
もちろんすぐにお願いをしました。
感謝感謝!
そうして月初を待って、これで最後となりそうな入院をしてすぐに手術を受けて、無事に予定通り3週間で退院の日を迎えました。
事務の方が手続きにこられて、10数万円をなけなしの貯蓄から支払い退院しました。
病院のATMで入院費を引き出したときには、残高が数千円になっていました。
ギリギリセーフ!
退院翌日すぐにブラック企業に復帰しましたが、働いてから給料日までの間の家賃や光熱費が支払えません。
ゲームセンターへも復帰したいと連絡をしましたが、今は空きがないと言われてしまい諦めました。
困った私は当時あちこちにあったサラ金へ出向き、1ヶ月分の生活費+αだけだからと自分に言い聞かせて20万円を借りました。
毎月1万円の返済です。
ところがWワークを失っていて収入が少なく、月に1万円の返済でも厳しいと感じてしまい、別のサラ金でまた10万円を借りました。
借金は1度してしまうと感覚が麻痺してしまいますね。
そこからは完全に借金まみれの自転車操業状態です。
気が付けば利息も含めて100万円近い借金になってしまっていました。
各社に毎月1万円ずつ返済をする契約をしていましたが、もちろん支払える訳もなくあっという間に滞納をしてしまいました。
頻繁に自宅へサラ金から督促状が届くようになり、すぐにあちこちの地方裁判所から呼出状がきました。
放置するとどうなるのか?どこかに相談できないのか??
裁判所からの呼出状で頭が真っ白な私は思考停止に陥ってしまい、素直に呼出状に従って地方裁判所へ出向きました。
もうとにかく恥ずかしいの一言で、裁判官に何を言われたのかも覚えていませんが、別室に移ってサラ金の弁護士からこの書類に署名押印をすれば元金だけの返済でよくなります、と言われるがままに署名押印をしました。
別の裁判所でも同じような感じで進み、よくわからないまま全ての借金は元金だけの返済で済むことになりました。
最終的に4社から借金をしていましたが、各社とも元金について毎月最低3千円を支払うことで和解した形です。
完済までに何年もかかりますが、手術で体調もすっかり良くなったので、またWワークを探して早く返済をしてしまおうと決心しました。
全ての裁判が終わり、必死にアルバイトを探し回ってようやく朝刊配達の仕事にありつきました。
日当3,000円。
深夜1時半に起きて出勤し、チラシを挟んでから担当エリアの部数をバイクへ積んで配達に回ります。
早朝5時前に帰宅してから2時間の仮眠を取り、ブラック企業に出勤します。
この朝刊配達のおかげで貯蓄こそできませんでしたが、先の見えなかった借金を2年足らずで完済することができました。
ようやくどん底から抜け出せたかもしれないと思える瞬間でした。
⑤へ続く