同じ病室だったKさん。

私より7歳上の女性。

生まれつきの難病で幼少期から毎年のように入院をして治療、手術を受けている方です。

見舞客もなくひたすら寝ている私にずっと話しかけてこられました。

病気の見通しがたたないのでバイト探しが難しいこと、彼と別れたこと、住むところもなくなること。

貯蓄が40万円を切ってしまって、この入院後の生活がどん底になりそうなこと。

 

Kさん自身のバイト先は大手企業で、毎年のように入院もするし通院での休みももらえているから口利きしようか?と言ってくれました。

Kさんは事務職のアルバイトでしたが、当時で時給900円、社会保険加入という破格の条件でした。

Kさんの働いていた営業所は少し遠かったため、もし私が今住んでいる市に営業所があれば紹介をしてほしいと頼みました。

3週間入院をして、14万円の入院費を支払って退院をしました。

元彼は私のためにアパートをそのままにして、私の入院中に彼女のマンションに引っ越しをしていました。

私に対する後ろめたさがあるようで、あと1年間はアパートをそのまま借りておくと言ってくれました。

固定電話もそのまま使っておいていいし、光熱費も払っておいてくれるとも。

 

退院をしてすぐにKさんから連絡があり、営業所長が面接をすると言っているから連絡を取るように言われました。

 

さっそく連絡をして営業所へ面接に行ったところ、いわゆる圧迫面接を受けました。

「今どき中卒ってひらがなは読めるん?漢字は全然無理やろ?」

「そんな病気でちゃんと働けるん?」

「生活保護に頼ったほうがいいんとちゃうの?」

「うち、時給低いで。仕事もキツいで。女やったら色々と他に働く場所あるんとちゃうの?」

 

ひたすら屈辱に耐える面接でした。

ですが自分で選んだ中卒の道。

耐えて耐えて「まあいいわ。ちょうど今から繁忙期に入るから倉庫作業でよかったら明日9:00に来て。」と言ってもらえました。

時給も条件も一切提示はありませんでしたが、喉から手が出るほど欲しかったアルバイトがすぐに決まった喜びに舞い上がりました。

 

翌日からさっそく出勤をしました。

言われるがままに倉庫で段ボールに入った箱を探しに行って取ってくるだけの仕事でした。

あっという間に1日が終わり、初日は20時ごろまで働きました。

仕事が終わって、現場リーダーのようなポジションの方に「これに9:00~18:00って書いて帰って。明日も9時からな。」と言って渡された紙には"日雇労働者管理票"と書かれています。

 

日雇労働者・・・。

 

いやな予感がしましたが、このアルバイトを手放す訳にはいきません。。

名前、住所、生年月日といったことを毎日この紙に書いて帰ります。

9:00~20:00まで働いても9:00~18:00と書かされることも気になりました。

数日行ったところで繁忙期に突入して、日付が変わるまで働くことも珍しくなくなりました。

朝は9:00だったものが7:00に来るように言われる日も増えました。

土日祝日も関係なく早朝から深夜まで動いていた営業所で、本人が休みたいと言わなければ休日は0日です。

ようやく月が明けて繁忙期も終わり、実労働は9:00~19:00に戻りました。

 

そうして25日に給料明細を初めてもらいました。

 

時給780円

支給額は17万円ほどでした。

 

どうやら1日8時間だけ働いたことになっているようです。

 

初めての給料明細を見たときの気持ちは今でも覚えています。

Kさんは時給900円と言っていたけど、私は780円で少しがっかりしたこと。

それでもまともな昼の仕事で17万円も稼ぐことができて単純に嬉しかったこと。

所得税(だったかな?)以外は何も天引きされていないから、社会保険や厚生年金には入れてもらっていなくてがっかりしたこと。

喜びと落胆が色々と入り混じっていました。

 

特に当時は社会保険だと医療費が1割負担になり、どうしても入りたかったのでショックでした。

ですが、もう来なくていいと言われるのが怖くて会社に聞くことはできませんでした。

体調が悪くなっても言い出せませんでした。

気合いだけで乗り越える日々です。

Kさんと通院で一緒になり話をしたところ、時給を含めた待遇は営業所単位で決まることを聞きました。

そのまま通院日だけ休みをもらいつつ独り立ちを目標に働き続けて、半年が経ってようやく自分でアパートを借りれるかも?というレベルの貯蓄ができました。

25万円の貯蓄が60万円になりました。

当時の大阪は、入居時に家賃の6か月分を保証金として収めることが一般的でした。

元彼が家賃や光熱費を払い続けてくれていたおかげでためることができたのです。

 

通院帰りに不動産屋回りを始めて、数件の内覧後にボロボロのアパートに決めました。

元彼に保証人になってもらい、不動産屋に審査を申し込んだら実態は日雇い労働者でありながら勤務先のネームバリューで入居できることになりました。

元彼は彼女のマンションに全て揃っているからと家電一式を私にくれて、引っ越しも親方の軽トラックを借りて手伝ってくれました。

通勤に不便だからと、乗っていたボロボロの軽自動車も譲ってくれました。

 

家賃5万円、駐車場1万円。

これからは元彼にも頼れず、完全に自己責任で全てを行わなければなりません。

 

そうしてここから本当の貧乏&借金生活が始まります。

 

④へ続く