働いていたスナックは3階建て雑居ビルの2階にありました。
エレベーターはなく、階段を使います。
二十歳になってすぐに、この階段を上ることができなくなりました。
足が長時間正座をしたあとのように感覚がなく、力がはいりません。
手すりにしがみついて登っていましたが、そのうち握力もなくなってきたのか手すりにつかまっていても階段から落ちてしまうことが続きました。
ママやお客さんからは、お酒の飲みすぎと言って笑われていました。
まだ笑っているうちはよかったのですが、だんだんと真冬でもダラダラと汗をかくようになり、お酒を注ぐ手が震えて注ぐことができないようになってきました。
手指が震えすぎてお客さんのタバコに火をつけることもできません。
まだ二十歳だった私は自分が病気になるなんて全く思ってもいませんでした。
ママからは、客商売でその手の震えはマズいから病院へ行ってみたら?と言われました。
症状が出始めてから半年程経つと10歩歩いただけで息切れをするようになり、1日12時間以上寝ても起きられなくなりさすがに少しヤバいかも・・・と思って、近くのクリニックへ行きました。
18歳になってすぐに住民票を彼のアパートに移していて、自分で国民保険に入っていたおかげで病院へ行くことができたのが幸いでした。
クリニックでは医師に「検査をしなくてもわかります。見るからにバセドウ病でしょう。すぐに診断を確定して治療を始めないと日常生活も困難になりますよ。」と言われました。
その場で採血をして、1週間後に結果を聞きにくるように言われました。
1週間後に結果を聞きに行きました。
「バセドウ病で間違いありませんでしたよ。検査結果は数値が全て機械で測定できる範囲を振り切っていますので、すぐに大きな病院へ行って精密検査を受けて下さい。少し離れていますが専門医のいる大きな病院へ今から電話をしますので、すぐに向かって下さい。」
え?今までほとんど風邪すらひいたことのない私が病気??
すぐに息切れを起こしてしまう状態でしたので、雨で仕事が休みだった彼に電話をしてクリニックへ迎えにきてもらい、一緒にタクシーで大きな病院へ向かいました。
大きな病院の受付で名前を言うとすぐに診察室へ案内をされました。
そこで診ていただいた医師に「安静時でも脈拍が110もあり危険です。今からすぐに病室を用意しますのでこのまま入院してください。」と言われました。
彼に身の回り品をカバンに詰めてきてもらうように頼んで、私は車いすへ乗せられてそのまま病室へ直行しました。
人生で初の入院です。
事務の方が手続きに来られて色々な書類にサインをしましたが、保証人の書類だけがどうしても用意ができません。
親族はいないと伝えたら、とりあえずは彼に保証人になってもらって下さいと言われたので、ちょうど身の回り品をもってきてくれた彼に保証人の書類にサインをしてもらいました。
そうか、家族と絶縁をするということはこういうことも考えておかないといけないのか・・・。
結局そのまま1ヶ月入院をして、心臓の薬で何とか頻脈も収まってきた頃に退院をしました。
実質1ヶ月の入院でしたが、月を跨いでいたために高額療養費制度を利用しても2ヶ月分を支払うことになりました。
高額療養費制度の対象外となる食事代やシーツ代もあり、2ヶ月分の合計で20万円近くを支払いスナックで働いて地道にためた貯蓄が随分と減ってしまいました。
このときの教訓は、可能な限り"入院は月初"です。
バセドウ病は何年も投薬を続けて、徐々に投薬量を減らして最終的に投薬不要な状態になることを目指します。
もちろんお酒も辞めなさいと言われました。
スナックのママに病気のことを伝えると、お酒を飲めないなら売上にならないから辞めてね、と言ってあっさりとクビになりました。
しばらくは彼の収入に頼りながら療養をしていましたが、病院代がかなり嵩みます。
2週間に1回の通院で約5千円を支払い、エコーやMRIの検査があるときはぐっと上がります。
私の場合はバセドウ病の症状に加えて、腎盂腎炎といった感染症にすぐに罹患してしまうようになりました。
彼からも病院代ぐらいは自分でアルバイトをして稼いでほしいと言われたので、なんとかアルバイトを探してパチンコ屋のホールや新聞配達、タウン誌のチラシ折込など手当たり次第にアルバイトをしました。
発病してから4年間は、少しアルバイトをしては体調が悪化して入院、そして貯蓄が尽きて退院をしてからアルバイトを始めると今度は感染症で入院、といった生活を繰り返していました。
24歳のときに、彼は自分の中学時代の同級生の女性が働くラウンジへ行き、その彼女と浮気をして妊娠をさせてしまいました。
ちょうどもう何度目かわからない入院が決まっていたときでした。
彼から相手が妊娠してしまったから別れてほしいと切り出された私は思いました。
家出をしてから7年間、今まで面倒を見てくれてありがとう。
これからは自分の家族を作って幸せになってね。
不思議と恨みや憎しみの感情は湧きませんでした。
同時に、これから入院の保証人はどうしよう・・・、これから住むところをどうしよう・・・、という不安に襲われました。
彼に最後のお願いとして、住民票と荷物は一人暮らしのアパートが決まるまでしばらく置かせてほしいこと、すでに決まっている入院の保証人になってほしいこと、新しいアパートが見つかったら保証人になってほしいことを伝えました。
妊娠をさせてしまった彼女も私の状況は知っていて、その条件にOKを出してくれたそうです。
彼はごめんと泣きながら入院の書類にサインをして判を押してくれました。
そうして私はまた入院をしました。
今度は完全に独りぼっちで見舞客もない入院です。
見舞客のない私に気遣って色々と話しかけてくれた同じ病室の人に、アルバイトを紹介されました。
おそらく日本に住んでいて知らない人はいないであろう大企業です。
そしてここからブラック企業へと足を踏み入れることになります。
③へ続く