新しい布団を買おうかどうかを考えているうちに、

どんどん寒くなってきてしまった。



誰だったかな?

『信じる者は救われる』なんて言っていたのは。


正教会でも言ってたよな。

何を信じるかなんてのは聞くまでもなく、

神=キリストいや、

神とかキリストのことか。


集会があるごとに疑うことなく、

聖書にあることを信じなさい、

神に触れなさいなんて説教してたっけ。


そうは言っても、

実はそれを騙る正教会職員を信じなさいってのを言いたいんだろうなと常々感じていた。


信じなさいとすることで信者を繋ぎ止めておく。

でないと自身の生活に関わることだからね。


だから疑えとは言っても、

ずっと疑っていたらいいとは言わない。


疑念が晴れたなら信じたらいいし、

晴れないのなら疑うことすらやめて離れていけば良い。


疑うことを経ずしてそれに飛びついた結果、

財産を差し出していたり、

心も身体も人間関係ボロボロになんてのはよく聞く話。


宗教に限らず、

お得ですよと言われ飛びついたら、

実は損をしていたなんてのもよくある話。


まず疑ってみる行為は自身を失わない傷つけないように、

防御壁を作り守る行為。


それは恋愛など人付き合いにおいても言えること。


恋愛や結婚で悩むのは自身を守る為なんだけど、

悩みの末に出した結果が自身に良い効果をもたらすとは限らないのが難しいところ。


ゲームもそう、

他人から『面白いよ』と言われロクに調べもせず買ってみたら、

言われていたほど面白くなかったなんてのもありそうだから、

昨日調べに調べて注文したゲームがある。


まだ届いていない。


ゲームなら面白くなければ数千円の損で済むことでも、

下手をすると自身の人生の汚点になりかねないものもあるのだから、

何かに飛びつく前に、

一呼吸置いてから検討しても遅くはないと考える。


土曜日に食べたほっともっとの中華あんかけ丼。


丼に盛られた白い飯に、


あんかけをかけると、


あんかけ丼の出来上がり。


美味かったよと僕は言うが、

だからと考えなくほっともっとに走って買い求めるよりも、

ほっともっとのサイトなどで中華あんかけ丼について、

材料などを調べて味を想像してみてから買い求めても遅くはない。


実はこの中華あんかけには僕の大嫌いな長ネギが入っていると材料にあったから、

食べるのを躊躇い、

食べる際も長ネギを見つけたら除去しようと思いながら食べたけど、

どこに入っているのかわからなかった。