先日買った週刊文春の中に連載されている池上彰さんのコラムを読んでハッとなった。

アメリカのある州で宗教に関する法律が提案されたことに反対する人達がいて、
なぜ反対しているのかを解説した内容だった。

もしも
東京の渋谷区に住む人のうち、
聖書が絶対に正しいと考えている人がいるのなら、
その人は早めに区外へ引っ越しした方が良いのかもしれない。

特に聖書第一であるプロテスタントの人は、
そうした方が良いのかもしれない。

聖書なんて関係ねぇな人は気にしなくて良いでしょう。

なぜそんなことを言うのか?

聖書が絶対に正しいとするのなら、
渋谷区は神の裁きにより
ソドムやゴモラのような目に遭わされるかもしれないからである。

最近
同性婚という言葉をよく目にする。

男と男、女性と女性
旧約聖書の時代には
その光景は異様に映ったのかもしれない。

だから
神が裁きをくだしたと考えたかったのかもしれない。

僕は誰が誰を愛そうとも
その人の勝手だと思っているので、
同性で愛し合う姿に全く抵抗感はない。

むしろ
女性どうしの姿には美すら覚えてしまう。

昨日も芸能人の女性どうしが結婚式を挙げたとニュースで見た。

婚姻届も役所に出しに行くらしい。

おそらくは受理されないと思われるが、
それはそれでまたニュースになり議論を呼ぶであろう。

海外では同性婚を正式に認めている国があるようで、
海外に住む日本人を扱うテレビ番組でたまに同性婚をした夫婦?の姿を見る。

日本ではニュースになっても、
そこの国では極々普通のことであろうから、
ニュースにはならないのであろうか。

同性婚とはいっても、
一緒に暮らしていく上では家事分担がきちんと決まっているようだ。

同性を好きになる人を
障害のように考える向きもあるが、
障害という扱いをするのはあまりにも早計であるように思う。

異性を好きになる人だって、
異性なら誰でも良いわけではないでしょう。

かなり年上を好きになる人やその逆、
豊満な人を好む人もいれば、
身体の一パーツにこだわりを持つ人もいれば、
その人のステータスに拘る人もいる。
同性を好きになるということはそれに近く思え、
単にその人が好む趣向ではないだろうか。

その二人だけでは子供を授かれないから、
日本では結婚は認められないのかもしれないが、
男女の結婚であっても僕のように子供を要らないとする二人もいるし、
血の繋がりに拘らなければ子供を育てることはできる。

自身が同性カップルを認めるや認めないではなく、
映る光景の中に普通に受け入れれば良いだけだと思う。

こんなことを言う僕は
もう既にクリスチャンではないのかもしれない。

読み物としては面白いが、
聖書にあることをそれが絶対に正しいなんていう生き方はしたくない。

自身の考えを社会に照らし合わせてみて、
間違いがなければ
それを自身を構成するものの一部としていく。


うちの愛犬の保険をアニコムに乗り換えました。
前に入っていたところは近所の病院では対応していなくて、
診てもらった後に書類を書いたりと面倒だったので、
そこの病院で対応しているアニコムに乗り換えたんです。

保険証を作るにあたり、
提出した愛犬の写真がこれ
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