今
正教会では四月十二日の復活祭に向け大齋(おおものいみ)の真っ最中である。
イイスス・ハリストス(キリスト)が受けた受難を信者も共に味わおうという意味を持つ。
この期間中
普段の平日は何をしているのかわからない司祭は
毎日のように祈祷があり忙しくなる。
この期間中は乳製品や肉や魚を食してはいけなくなる。
大齋の期間は日曜日に教会で行われる聖体礼儀の後に出る食事は
こんな感じだ。
肉とか乳製品や魚は使われていない。
何故この和食なメニューに紅茶なのかは
ロシアかぶれだからとしておく。
因みに
この食事を食べるにあたり300円徴収される。
ロシア人の女性が当番の時は
主に豆を使ったロシア料理がでます。
カトリックにも齋と同じような期間があるそうだけど、
正教会ほど厳格ではないらしい。
新教プロテスタントについては
不勉強につき
復活祭があるのかとか齋があるのかは知りません。
僕は乳製品や肉や魚を食べてはいけないとする決まりについては、
守るつもりが一切ない。
他の信者から見れば信仰心がないと思われるだろうが、
そんなことは気にしない。
いくら
自分がクリスチャンであっても、
その理不尽に思える決まり事に心を支配されたくはないからだ。
司祭自身も
守り通すことが難しいから仕方ないと言っているくらいだ。
決まり事に心を支配された正教徒の中には
大齋の期間中に何かの折に出た食事の中に乳製品や肉や魚が入っていたら、
わざわざそれをゴミ箱に捨てに行く人がいる。
正教会の齋を知らない人からすれば、
その行為はどのように映るのだろうか?
僕には、
その行為は信仰心とは無関係な行為であり、
決まりを頑なに守ることを信仰心だと勘違いした愚行であるように映る。
肉や乳製品や魚を口にしないように心がけるだけならまだしも、
それを完全に守りきることは今の時代を生きる者には不可能に近い。
大齋の期間中に限らず、
目の前に食べ物を出されたとしたなら、
神やそれを作ってくれた人や食の為に犠牲になった命に感謝して
心と手で十字を切り食べるのが、
クリスチャンの在るべき姿ではなかろうか。
日本の正教会はロシアの影響をかなり強く受けている。
正教徒が数多いロシアでの大齋期間中は
さぞや牛乳やチーズや肉や魚が売れなくなるのだろう。
行った事がないので知らないけれど…
僕はクリスチャンではあっても、
キリスト教が絶対に正しいとは思っていない。
他の宗教が持つ教えの中に、
良いと感じたことがあれば取り入れるようにしている。
取り入れていったことが
自分の中での支配を赦さず上手く溶け込ませることが出来たたなら、
それが自分の今後を良くしていくと考えている。
と…早く投稿しなきゃと焦る気持ちに支配された者の醜い文章でした。
おまけとして大齋に祈る祈祷文を一つ紹介しておきます。
シリヤの聖エフレムの祝文
主、吾(わ)が生命の主宰よ、
怠惰(おこたり)と、愁悶(もだえ)と、凌駕(しのぎ)と、空談(むだごと)の情(こころ)を我に与ふる勿れ
貞潔(みさお)と、謙遜(へりくだり)と、忍耐(こらえ)と、愛の情(こころ)を我爾の僕(ぼく)に与へ給へ
鳴呼(ああ)、主王よ、我に我が罪を見、我が兄弟を議せざるを賜へ
蓋(けだし)、爾は世世に崇め讚めらる、「アミン」
主吾わが生命いのちの主宰しゅさいよ、怠惰おこたりと、愁悶もだえと、矜誇ほこりと、空談むだごとの情こころを吾われに與あたふる勿なかれ。
貞操みさおと、謙遜へりくだりと、忍耐こらえと、愛の情こころを我われ爾なんじ の僕ぼく(婢ひ)に與あたえ給え。
嗚呼ああ主しゅ王おうよ、我われに我わが罪つみを見み、我わが兄弟けいていを議ぎせざるを賜たまえ、蓋けだし爾なんじは世世よよに崇あがめ讃ほ めらる。「アミン」