S教会とM信者

以前の僕はいわゆる無神論者であった。

神様神様と言う言葉を聞くと、
「そんなのいないのに…」と心の中で笑うような人間であった。

そんな僕が、ひょんなことがきっかけで今では教会に通う人間になってしまった。

教会に通いだして、もう2年半くらいになろうか。

教会に通うようになった経緯については、また別の機会に述べるとして、
教会に通うようになったことで以前には感じられなかったことを
感じるようになりました。

何の教会に通っているかは、
今は伏せておきます。
ちなみに新興宗教ではありません。
読みながら察していってください。

神様云々抜きにして、
教会に通うようになって実感していることは、
金銭的負担が重くのしかかるようになったことです。

教会を維持する為に毎月払う定額献金に、
教会に通う度に出す皿献金、
そして年に12回ある祭の度に支払う献金、
セミナーに出席すると渡される献金封筒…
教会に通いだしの頃はせっせと献金をしていたけれど、
最近では献金を渋るようになってきました。

教会で働く人のことを考えたら、
これではいけないんだろうけれど、
献金を負担に思う心のせいで教会に通わないようになるのも嫌なので、
負担にならない程度の金額を献金するようにしている。

もしかしたら僕は心のどこかで、
教会に依存してしまっているのかもしれない。

教会では毎週日曜日に礼拝があり、
朝から昼前くらいまで何人かが集まって祈りを捧げます。

礼拝が終わると皆で昼食を食べて解散する。

僕は月に一度くらいしか通えないのだけど、
人によっては毎週のように通っている人もいる。

せっかくの休日なのに、
もったいないような気もするが、
他人のことなので放っておこう。

日曜日の礼拝に参祷する際には、
自分の犯した罪を司祭を通じて神様に告白し、
許しを乞う儀式?がある。

教会的にいう罪とは、
神様に背を向けた行いのことらしい。

罪を犯した覚えがなくても、
自身の中に何か罪を見つけて告白しないといけない。

具体的な罪が思い浮かばない時には
「知ると知らずして犯した罪を…」と言うことにしている。

罪を告白すると、後でワインに浸したパン一切れとワインを一口もらえる。

なお
パンをもらう為に、
礼拝に参祷する際には朝食を抜いてなければならない。

教会的にそのパンはキリスト自身の肉で、
ワインはキリストの血らしい…
どう見てもただのパンとワインにしか見えないんだけど…
聖書にはこのパンとワインがキリスト御自身だとされてあるからそうなるらしい。

月に一度のペース教会に通っているのは、
月に一度教会で執事会があるからである。

僕は教会の執事をやっているので、
参加しないといけない。

本当は執事なんてやりたくはなかったんだけど、
他に人がいないとのことで引き受けてしまった。

その執事会で話されることは、
教会の予定についてはもとより
献金をいかにして集めるかとか…

こんなことばかりを言うと、
教会が嫌いなのかと思われるかもしれないが、
教会に行くと何故だか心がスッキリするから、
どちらかと言えば教会が好きだ。

今月もまたS教会に行こう。

僕はMなんだろうか…?

司祭によると動物は皆天国に行けるらしい。