専門学校を卒業してすぐに仕事の面接を受けたこともありましたがしゃべることができないのですべて不採用でした。親戚が店長をしているスパーだから雇って貰えるだろうと父に言われて面接を受けましたが、親戚だからとしゃべれないこと等配慮をしてくれるなんて甘いものではなく見事に不採用になりました。親戚であっても雇ってはくれない、話せないと何の仕事もすることはできない。数日泣き続けたのを覚えています。

 どこも雇ってくれないので父の経営していた古本屋で6年間働きました。

そのあとは障害の診断が下るまでの間非開示で一般就労をしました。フルタイムの仕事をしたかったけど短時間の仕事や暇な時期・忙しい時期の仕事量が極端に違う仕事にしか就くことはできませんでした。それでいつも掛け持ちをして体を壊すほど仕事をすることが出てきました。半年・どんなに長くても3年しか続きませんでした。

サポステや就労移行に通ったことがあるのですが、一般就労よりも扱いがひどく支援機関なのに全く障害に理解がありません。精神障害の人と同じやり方をされて毎日のように死にたいと思っていました。就労移行の利用は自衛隊から転職してきたばかりのハローワークの職員から無理やり行くように説得されてしまったのがきっかけでした。命からがら逃げて行って一般就労をしたこともあります。一般就労では求められない次から次に指示をされる中で仕事をする能力やすべてを支援者に管理されることを求められ死を考える以外の何物でもありませんでした。

そのあと作業所で働くことがありました。発達障害当事者会を一緒に運営していた人に3年説得され続けて折れてしまったのがきっかけでした。主治医にはいく場所じゃないと言って大声で怒鳴られました。作業所が今までで一番特別に働きにくい場所でした。障害の理解をしてもらえるどころか先にたくさんの支援をしていた精神障害の人にとって配慮になるやり方で働くことを求められてしまって発達障害と場面緘黙症である私は3年間やめるまで一般就労以上にものすごく辛い思いをして生きた心地もしない状態でした。途中で支援者とやっていけなくて異動することがあり、木工に変わったので聴覚過敏でものすごく苦しむ日々が続きました。死んでしまいたいと思う日もありました。

作業所から一般の会社に就職する際に障害についての説明をして理解を促してもらえるのではなく、会社が求める働き方をするように言われました。最初は場面緘黙の人を就職させるのは難しいから夜間の弁当の仕事に雇おうとされました。しかし、助成金がもらえなければ雇わないとも言われました。職場にプレッシャーをかけにやって来たり職場で面談をするなどとにかく苦手な働き方や何かあっても会社に配慮を求められないようにされてきたのでこんなに仕事のしにくい一般の会社はないというほどでした。

 

 そのあと介護施や病院の給食の仕事をしました。

介護施設や病院では挨拶も返事も会話も必要な半分くらいはできていました。話せと言われたり話せないことをめちゃくちゃ迷惑のように言われたりしていたので無理にでも話そうとしていてのことでした。言えないことがあると自分の分の仕事を押し付けられるような職場でもありました。ここまでは支援者がついたとしても緘黙や発達の説明をする知識のない人だったのでただちょっとだけ話すのが苦手なようにしか会社には伝わらなかったのだと思います。障害で苦手な話すこともできないADHDもASDも同じ発達障害だから挨拶出来て当たり前、話ができて当たり前、お礼が言えて当たり前感謝の気持ちがないと言われました。私が悪くて、できない人には仕事はないという支援者しかいませんでした。理解してもらえないたびに場面緘黙のことにあまり詳しくなかった私は私が悪いと自分を責めました。そして、耐えられなくなって相手が参るほど大声で支援者を怒鳴ったりすることの繰り返しでした。

現在の仕事では就職活動の時は全緘黙のことも知らないし、面接の際障害に理解をしてもらえるように説明をしてもらうことはありませんでした。場面緘黙なのに知的障害で仕事ができないように言われることもたくさんありました。就職の支援をしている人には全くかんもくを分かってもらえていないと感じています。就職して1年ほどたったころもうこういう扱いでは仕事は続けられないと相談をしたことがありました。今までできない私が悪いと言われてきたことを初めて訪問看護の看護師や発達障害者支援センターの職員から障害特性で苦手なことだと言ってもらうことができました。そして初めて会社に障害のことを説明してくれたのです。そして、障害の理解もしてもらって仕事ができるようになりました。無理をして苦手なことをしなければ仕事が続けられないとうことがなくなったので働きやすくなったとは言っても現在の職場では全くと言ってよいほど声が出ません。挨拶も返事もできません。働きやすい職場の方が声が出ないなんて前の職場より働きやすいからこそ前の職場以上に話したいという気持ちになって治療をしたいと考えたこともあり場面緘黙の治療をするというクリニックに行ってみたこともありました。今の職場は話せなくても仕事ができれば受け入れてくれる環境だからこそ前の職場のように適応障害になることもなく元気で働けているのだと思います。職場以外では障害に理解のある人と関わりを持ちながら生活できているので収入が減った時も節約としつこく言う人もいたのですが隙間バイトを勧めてくれる人もいて無理なく掛け持ちができるやりで副業ができたことも不安増幅せず今までのように短期間で退職にならずに済んだことだと思います。

 ゴールデンウイークやお盆・年末年始など仕事が少ない時期があって収入が少なく生活の心配をしてしまう仕事ではありますが、自分のやりたい事を両立でき今までで一番働きやすい職場なので長く働きたいと思っています。