歴史を歪める大人たち、そして彼らに毒される若者たち~或るナチス裁判に思う | ・大津、出水、そして全国の子供たち、死んじゃいけない~ヘロの独り言

・大津、出水、そして全国の子供たち、死んじゃいけない~ヘロの独り言

・ 全国で子供たちが陰湿ないじめによって死に追い込まれている。
  命を奪うものは直接の加害者だけじゃない。見てみぬふり、時には言葉の暴力や直接の暴力で、子供たちを死に追いやる教師もいる。
  そんな狂った社会に向けて、老人は怒りをこめてつぶやきます。

ナチス裁判

93歳の元ナチス親衛隊員、初公判で遺族に謝罪
TBS系(JNN) 4月22日(水)7時14分配信
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2475004.html

 第二次世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所で30万人もの殺害に関与したとして起訴された元ナチス親衛隊員の初公判が21日にドイツ北部で開かれ、被告は起訴内容を全面的に認めました。

 殺人ほう助の罪に問われているのは、元ナチス親衛隊のオスカー・グレーニング被告(93)で、1944年5月からの2か月間にポーランドにあったアウシュビッツ強制収容所でおよそ30万人の殺害に関与したとされています。グレーニング被告は当時、収容所に移送されてきたユダヤ人らの持ち物から金品を探し出し、没収する任務に就いていました。

 21日に開かれた初公判で、グレーニング被告は起訴内容を全面的に認めた上で、遺族らに対し「どうか許してください」と述べました。また被告は、当時の様子について「ガス室から苦しむ人々の大きな叫び声が聞こえたが、徐々に小さくなっていった」などと話しました。

 ホロコースト、いわゆる大量虐殺に関与したナチス戦犯の捜査は戦後70年となる今も続いていますが、すでに亡くなった容疑者も多く、これが最後の大きな裁判になるのではないかと言われています。(22日00:19)

ライン

過去の悲劇から学ぼうというのではなく
「事実」をなかったことにしようと歴史を歪曲する大人たち
そして
事実を教えられないままに、大人たちの煽動にのせられ
見知らぬ異国で散らされていく若者たちの生命


突然、ナチス裁判の話題をとりあげることを奇異に思われるかもしれません。
イジメ、人権、そして憲法、へロにとっては密接にリンクした話題です。しばらくおつきあい下さい。

かつて、ヘロがまだ自分のブログをもっておらず、ただやみくもに大津の事件についてあちこちの板で意見を発信していた頃のことです。
適菜収という哲学者が、事件を隠蔽しようとする行政にたいして怒りまくっている人々に、「大衆の正義感はファシズムの温床だ」と批判し、「黙って法に従え、法が解決してくれる」と有り難い教えを垂れてくれたことがありました。

余談ですが、安倍氏の下で甘い蜜に擦り寄ろうとする「知識人」の一人として、その後けっこうもてはやされる存在になっているお方のようです。
ちなみに、最新刊「なぜ世界は不幸になったのか」という本の帯には、「賢者・哲人は民主主義という悪と戦ってきた!」という有り難いご託宣が述べられています。

へロはこの方の有り難い教えに反発し、「ナチスのユダヤ人虐殺も法の名の下に行われた」と主張したのですが、そこへ、かなり知識をお持ちの方が「ホロコースト=ユダヤ人虐殺は連合国がでっち上げたデマだ。収容所で死んだユダヤ人はすべて病死だ」という意見で横槍を入れてきたのです。この連合国陰謀説は、ネトウヨと呼ばれる集団の中でかなり広がっていたようで、ナチスの虐殺を含め、戦後の民主主義教育はすべて「捏造」されたもので、これを総称して「捏造史観」というのだそうです。

ほかにも「自虐史観」だとか「司馬(遼太郎)史観」だとか、様々な用語があるようです。
つまり「虐殺」はなかった。すべてデッチアゲだ。
似たような意見を耳にしますね。「侵略」はなかった。侵略か否かはこれから先の歴史が決めることである。堂々とそう答弁した一国の総理もおられます。70年談話で歴代の談話は引き継ぐと言いながら、「侵略」という言葉は断じて口にしたくないようです。

さて、この人類史上まれにみる残虐行為=ユダヤ人大虐殺を、アメリカを筆頭とする戦勝国のデッチアゲだとする「史観」は、実は驚くほど広く若者たちの中に蔓延しています。
アンネの日記もデッチアゲの作文、ガス室なんてものは存在しなかった。嘘だと思われるかもしれませんが、本気でそう信じる若者は驚くほど多くなっているのです。
2チャンネルに群がる若者を中心に広がる、こうした歴史無視、それこそ捏造した史観を、そのままにしておくことは、実はとても恐ろしいことだとは思われませんか。

この裁判に引き出された老人も、戦勝国が用意したエキストラだと言いかねません。
30万人もの「病死」という説と、「ガス室から聞こえる悲鳴」というこの老被告の証言は、どうやってもつながりません。
それでも若者たちは、この矛盾をカバーする「新たな学説」を耳にすることになるでしょう。
愚か者たちの言説だとタカをくくっているべきではないと思うのです。
なぜなら、若者たちを作為的に「愚か者」に仕立てあげようとする悪意の大人たちがいるからです。

油断しすぎると、思わぬ形で歴史は暗転してしまいます。
そんなこと常識じゃないかと言う前に、身近にそんな「非常識」に毒されている若者がいたら、労を惜しまず、何が正しいかを真剣に伝えるべきではないでしょうか。
歴史の生き証人たちが他界していきつつある今だからこそ、それはとても大切なことだと思うのです。ひるがえって、生き証人がいなくなってきた今だからこそ、己の利得のために平然と歴史をつくり変えようとする悪魔も頭をもたげてきているのです。

イジメとも関係すると言いました。
考えてみてください。イジメられて自死に追いこまれた少年を、実は彼のほうこそイジメた側だったんだという卑劣なデマのことを。
構図は瓜二つです。
己の利得、身の保全のためには、平然と「白を黒と言い張り」、真実をねじ曲げる。そして、なにも知らない子供たちは、そう信じこまされていく。
おそらく真実の多くを掌握しているはずのジャーナリズムも、自ら率先してデマを流布することはないとしても、沈黙することによってデマの拡散を黙認する。

かつて、「大本営発表」という巨大な嘘を黙認したジャーナリズムは、今また悪質な歴史的事実の歪曲に沈黙し、若者を死地に追いやる暗黙の協力者になり果てようとしている。
同じ構図で、伝えるべき真実から目をそむけ、沈黙することによって保身という名の権力の利得に貢献し、子供たちの生命を無残に奪う「イジメ自死事件」の再発を放置する。
根はひとつと言うべきです。