第二章 第4話 「コーヒー牛乳事件」

 

夕食は予想に違わぬ、いや予想以上に素晴らしいものだった。

 

 飛騨牛はもちろん、山・川・海の幸がふんだんに盛り込まれた料理はボリューム満点で、食べ盛りの男子、女子をも十分に満足させるものであり、味については言うまでもない。

 

 

「うひょー、七瀬ちゃん、浴衣姿がまた色っぽうてたまらへんね!」

 宴もたけなわとなってくると、いつの間にか八郎が七瀬の隣の席にやってきて絡んでいた。

「もうちょっとこう、胸元が緩んでいるともっとええんやけどなー!」

「ゆかり女史、セクハラで訴えてもいいですよね?」

七瀬が仏頂面で、ゆかり女史の方に振り向いて言うと、

 

「勿論よ、星野さん。大塩くん、事務所に行く?」

「いやいやいや、まだほんのひと触りもしてへんがな!」

「触ったら本当に警察沙汰だからね」

 八郎は懲りず七瀬に言いよっては撃退されている。

 

 一方でアキは涼香に抱き着かれて困惑していた。

「えへへ、アキちゃん柔らかくて気持ちいいなー」

「ちょっと涼香ちゃん、まさかお酒飲んでなんていないでしょうね?」

 

 ゆかり女史や二十歳を超えている優奈など、ごく少数だがアルコールを口にしている人もおり、まさか涼香もと思ったのだ。

「匂いでやられちゃったんじゃない? そういう子もいるよ」

「ええぇ、弱すぎでしょ。涼香ちゃんっ」

「アキちゃーん、凄い凄-い」

 無邪気な口調でアキの胸に顔を埋めて頬を摺り寄せる涼香。八郎をあしらいながら横目で涼香を見て、「そのおっぱいは、私のものなのに……!」などと歯噛みする七瀬。

 

 そんな感じで宴会は阿鼻叫喚の様相を呈してきていた。

「そ、そうだ涼香ちゃん、カラオケあるよ、歌ってみない?」

 宴会場の前方にはカラオケセットが置かれていて、舞台にあがった男子生徒が熱唱しているのを他の生徒がやんやと囃し立てている。

 アキとしては、なんとか涼香を引き剥がしたいと思って何の気なしに口にしたのだが。

 

「――――やだ!」

 思いがけない強い口調で涼香は拒絶した。

 

 アキの胸から離れる涼香。

「あ、ごめん涼香ちゃん、カラオケ嫌いだった?」

「あ…………あだすこそ、ごめん、アキちゃん」

 

 ぺこぺこと頭を下げて謝る涼香に、先ほどまでののぼせたような様子は見られなかった。カラオケが嫌いな子も、人前で歌うことが苦手な子も多い。まして涼香は明らかに人見知りしそうなタイプであり、失敗したと反省するアキ。

 

「ねえねえ、展望台に卓球台があるよ。卓球大会しようよ!」

 立ち上がり、腕をあげる萌。

 何人かの生徒が歓声を上げて萌に続く。

 まるで修学旅行みたいだと、いやそれ以上の賑やかさだとアキは思った。

 

 

 盛り上がっている卓球大会を余所目に、アキと七瀬は大露天風呂にやってきた。

今なら八郎を含む多くの男子生徒が卓球大会で盛り上がっているからだ。それでも何人かの男子生徒が入ってきており、湯浴み着を身に付けているとはいえ、どこか落ち着かない。
 

 それでも。

「ほんっ……とーに、凄いね」

「うん」

 アキも七瀬も、言葉も出なかった。

 夜のため、大自然を目にすることはできなかったが、それでもその湯船の広さに目を奪われてしまう。

 


 

 一緒にやってきた穂波と優奈も、小さな吐息を漏らすのみ。

 もしかしたら助平心でやってきたかもしれない何人かの男子生徒達も、女子のことなど目に入らないように「すごいすごい」とはしゃいでいる。

 

 七瀬は、そちらを見ないように必死に目を背けていた。

 そうして大露天風呂を十分に堪能してから出たところで、卓球大会を終えたらしき面々と出くわした。

 

 その中で八郎が、風呂上がりの七瀬を見て愕然とした表情を見せた。

「え、あ、まさか七瀬ちゃん、今まで大露天風呂にっ」

「ええ、とっても良いお湯だったわよ」

「う、うそやろーーーーっ!? 終わったわ、わしの人生!!」

 

 その場に膝をつき、蹲る八郎。

 見下ろす七瀬は、侮蔑の表情を浮かべている。

「あ、あぁ……七瀬ちゃんに蔑みの視線を向けられる、なんかたまらんなぁ……目覚めそうや」

「あほらし。アキ、行こう」

「う、うん」

「ま、待ってぇな七瀬ちゃん。そや、風呂からあがったんならせっかくやから一緒に一杯やってかんか? わいの奢りやで」

 

 

 八郎が素早く販売所から購入してきて見せたのは、コーヒー牛乳。

 風呂上がりのコーヒー牛乳といえば定番だ。喉の乾いていたアキは、ごくりと唾をのみ込む。

「結構、欲しかったら自分で買いますから。いくわよアキ」

 クールに八郎を無視する七瀬。

 

「くぅ、その冷たいところもまたええんよなぁ。でもコレ、どないしよか……あ、穂波ちゃん、ちょうどええ」

「ん、何?」

 アキ達に続いて出てきた穂波に目を向ける八郎。

 笑顔で、手にしたコーヒー牛乳を穂波に差し出す。

「これ、良かったらわいの奢りや。風呂上がりのコーヒー牛乳、最高やで!」

 目の前に八郎からコーヒー牛乳の瓶を差し出されて穂波は。

「――嫌っ!」

 いきなり、八郎の腕を叩いた。

 

「うわっ!?」

 八郎の手を離れて宙を飛ぶコーヒー牛乳。

 

「わお、危ないっ」

 身軽に手を伸ばしてキャッチしたのは萌。幸いにして事なきをえたが、場は少しばかり変な空気に包まれる。

 

 八郎はただコーヒー牛乳を奢ろうとしただけである。そういうことを気持ち悪いと思う女の子もいるかもしれないが、クラスメイトで知った仲、穂波の態度はあまりに過剰すぎるように思われた。

 

「ちょっと、穂波」

「あ……そ、その」

 優奈に肩を掴まれ、我に返る穂波。

 

 周囲にいた生徒達の視線を受け、声をなくす。気まずくなりかけるところを変えたのは、やはり八郎の大きな声だった。

 

「いやー、すまんすまん穂波ちゃん、わいみたいなイケメンにいきなりコーヒー牛乳突き出されたら、そらびっくりしてまうよなぁ! いやぁ、わいもほんま罪な男や!」

「アホ、アンタのどこがイケメンなのよ、むしろエロメンの間違いじゃないの」

「うわっ、きっついなぁ優奈ちゃん、そんなに穂波ちゃんに嫉妬しなくても、ちゃんと優奈ちゃんの分も買うたるさかい」

「そう? じゃあ遠慮なく、そうね 『大吟醸 朱金泥能代醸蒸多知』 がいいかなぁ」

「オーケイ、オーケイ……って、オーケイなわけあるかいっ、一本どんだけすんのと思ってんねん!」

 八郎と優奈のやり取りで、周囲も笑い出し、雰囲気が和らいでいく。

 

 そこに、ゆかり女史がやってきた。

「あなた達、いつまでも騒いでないでそろそろ休んだら?」

「何ゆうてはるんですか、夜はまだまだこれからやないですか」

「元気なのはいいけれど、忘れていないかしら? ここには遊びで来ているわけじゃあないのよ。今日のこともレポートにまとめてもらうし、明日からは本格的な課外実習が始まるのよ」

 ゆかり女史のその一言で、場が一気に冷めてしまった。

 アキも七瀬もすっかり忘れていたが、今回の旅行も授業の一環なのだ。

 

「そ、そろそろ休もうか、七瀬?」

「そうだね」

 素直に部屋に戻ろうとするアキ。

 翌日のこともあるが、今日も早朝からの活動で疲れ果てているのは確かだったから。

「く……そ、そんな」

 八郎もがっくりと肩を落としている。

 さすがの八郎もマイナス評価を喰らいたくはないようで大人しくなった。

 と、思ったのは一瞬だった。

 

「……どうせ明日から遊べなくなるなら、今夜遊ぶしかないやろ! なあ、そうやろみんな!?」

 

 八郎の叫びに、男たちが鬨の声を上げる。

 そんな男子生徒達を見て、七瀬は呆れたように呟いた。

「男って、本当に阿保ね」

 アキにも、その言葉を否定する要素は何もなかった。

 

第二章第4話 終

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