第二章 第2話「飛騨高山と奥飛騨温泉郷」
東京からバスに揺られること四時間以上、途中で休憩も挟みつつようやく到着した高山市。
時は四月の中旬、カレンダー上では春とはいえ、この時期の高山はまだ肌寒く、カーディガンやジャケットを重ね着しないと体が冷える。
しかしながら、気温こそ寒さを覚えさせるものの、高山市を包み込む熱気はそのようなことを全く感じさせなかった。
「うわぁ、凄い、なんか凄い人だね!」
まずは市内見学ということでバスを降り立ったアキの眼前には、大勢の人達で賑わっている高山の街。
「ちょうどお祭りの時期だからね。ほら、『春の高山祭』!」
隣に立つ七瀬がアキに教えるように人差し指を立てて言う。
「ああ、そういえば。ええっと、確か」
岐阜県といえばアキ達の故郷でもある渋温泉のある長野県とお隣さんである。それゆえにというわけでもないが、アキも岐阜のことは多少なりとも意識して覚えるようにしていた。かつて脳味噌に叩きこんだはずの知識を総動員して口にしようとしたところだったが、アキの言葉は他の人の声によってかき消された。
「――そう、まさに今は『春の高山祭』に向けた準備の真っただ中ですね。高山に春の訪れを告げるのがこの『春の高山祭』こと『山王際』です。これは、旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社、すなわち“山王様”の例祭なわけです。なお、『秋の高山祭』は『八幡祭』ですが、これは秋になったら説明しますからね!」
横から出てきて嵐のような勢いで説明をしたのは、テルマエ学園の専属ツアーガイドである林出修であった。
バスの中でも、これでもかとばかりに熱いパッションを叩きつけてきていたが、不思議と押しつけがましさというものはあまり感じられず、決して不快だとは思わなかった。ただ、圧倒されはしたが。
「うーん、素晴らしいですね、『春の高山祭』といえば屋台です! お祭り本番に向けて華やかに飾り付けられていく屋台を見るのもまた楽しいですね」
嬉々として話を続ける林出に、他の生徒達も熱心に聞き入っている。それどころか、近くにいた観光客たちまで、面白そうなことをやっている出し物とでも勘違いしたのか近づいてきていた。
「こうして見ると、観光客の人も凄く多いわね」
「うん、渋温泉とは大違いだね。何がそんなに違うのかな?」
七瀬の言葉を受けて、アキは素直に首を傾げた。
今までそのようなことを考えたことも無かった。だが故郷である渋温泉を、祖母の旅館を盛り立てるには外部からの観光客をいかに呼び込むかが重要になってくる。それも、リゾート開発の力などではなく、昔ながらの、今の渋温泉の良さを活かしてだ。
その点、百年以上前の家屋が立ち並び風情ある町並みを現在に残す飛騨高山や、あるいは合掌造りで有名な世界遺産・白川郷の集落など、昔ながらの風景を残しながら観光客を呼び込んでいるのは参考になる気がした。
特に高山における外国人観光客は、年間五十万人を超えるほどだし、温泉旅館だってもちろん有名な場所が数多くある。
「何かしら渋温泉にも取り込める農法を持って帰りたいね」
と七瀬にささやくアキ。
「え、何、農業とコラボするの? そりゃ、面白い発想かもだけど」
「ていうか、何で農業?」
と七瀬がアキに切り返すと、
「そうだよ、せっかく来たんだから、お客さんを呼び込むためのテクニックや技術、手法を知りたくない? 七瀬だって」
「そりゃもちろん。ていうか、技術とテクニックと手法って同じ意味だからね、って、あーはいはい、それに農法じゃなくノウハウね!?」
「だからそう言ったじゃん、七瀬ってばー」
「農法なんて言ってないよ、アキは言ってないからね!」
呆れたように七瀬は大きく息を吐き出した。昔っからアキは、思いついた言葉をすぐ吐く癖があるのだが、言葉の意味を理解していないことが多いことを。
「……そっか。でも、そっか、アキがね」
「ど、どうしたの、七瀬? わたし、変なこと言った?」
「ううん。そうじゃなくて、まさかアキがそんな風に考えていたなんて、ちょっと驚いただけ」
「失礼だなー、私だってちゃんと真剣に進路遠望してテルマエ学園に入ったんだから」
心外だ、とでもいうように口を尖らせて言うアキ。
「……あながち間違っていないように聞こえるけれど、それって深慮遠謀ね。漢字がちょっと間違ってるよね。でもそうか、いつの間にかアキもそんな立派に育っていたんだね」
「えへへ、まあね」
「ホント、こんなずっしりと手の平に乗っかるくらい育ってねぇ」
「そこの成長!?」
いつの間にかアキの背後に回っていた七瀬は、ごく自然にアキの胸を揉んでいた。もはや熟練した痴漢の域である。
「Oh! This is “YURI” of JAPAN!」
「Lovely!!」
「May I take a picture?」
すると、なぜか外国人観光客がアキと七瀬の方に近づいてきて、写真を撮らせて欲しいとカメラを向けてきた。どうやら二人も見世物だと思われたようだ。何せ二人とも入学式と同じ高校の制服姿で、コスプレと勘違いされても不思議ではない。なぜ制服で来てしまったかというと、なんとなくとしか言いようがないのだが。
「あわわ、ご、ごめんなさい、私達はそういうのじゃないんで!」
「ただの一般人なんです!」
慌てて違うのだと説明するが、英語で話せないためなかなか納得してくれない。そんな困っているアキ達を助けてくれたのは、またしても渡だった。横から現れて外国人観光客と話すと、外国人観光客はあっさりと納得したようでその場を去っていった。
ほっと安堵するアキと七瀬に、渡は怜悧な視線を向ける。
「まったく、余計な手間をかけさせんなよな」
「な、なにそれー!? 別に助けてくれなんて頼んでないし」
「ちょ、ちょっとアキやめなよ。助かったのは事実なんだし」
「そう素直にお礼も言えないのはどうかと思うぜ。それで接客業ができるのか?」
「むっきー!」
掴みかからんとばかりのアキを、どうにか七瀬が羽交い絞めにして抑える。そんな二人に軽く口の端を上げてみせ、渡は他の男子生徒達の方へと歩み去っていく。
「本当、感じ悪っ!」
渡の姿が見えなくなってもアキはまだ納得いかないようで、鼻息も荒い。
「アキ、せっかく高山まで来ているんだから、カリカリするのやめなよ。でも、アキがそんな風になるの珍しいね」
「なんか相性が悪いのよ、アイツとは」
「アキちゃん、ナナちゃん、何しているの?」
いきり立つアキのもとに、とことことやって来たのは涼香だった。
「あ、と、涼香ちゃん、なんでもないよ」
誤魔化すように言うアキ。
「じゃあ、一緒さ行ぐべよ。林出先生がおもしぇ話してるよ!」
涼香に手を握られ、再び林出達のいるところへ向かうアキと七瀬が見たものは。
「――今も朝市などが開かれ、賑わっている「陣屋前」ですが、これはですね、元禄時代に出羽国上山藩って分かります、今でいう山形県です。その出羽国上山藩への転封で江戸幕府直轄の「天領」となったことで、藩主であった金森の下屋敷は取り壊され、後に「陣屋」 となったのです。こういう歴史的背景を考えますと――」
熱弁をふるう林出の周りには、いつの間にか人垣が二重三重に出来上がり、大変な盛況となっていた。
「な、何コレ、なんでこんなことになっているの?」
「いや、確かに林出先生の説明は面白いけれど、明らかにおかしいでしょ!?」
驚くアキ、ツッコミを入れる七瀬。
「はぁ、凄いねこれ。ちょっと、他のお客さんにも迷惑だよね」
アキが人波をかきわけるように歩いていると、斜め前方にショートボブの少女を見つけた。
「穂波さん、だよね……?」
クラスメイトであり同じ班でもある塩原穂波の後ろ姿を目にして、アキは声をかけようとした。穂波は一人で立っていて、皆とははぐれてしまったのだろうと思ったのだ。
しかし、後ろ姿ではあるがどこか違和感を覚える。穂波とは知り合ってまだほんの数日、よく知った仲ではないが、あのように背を丸めている姿を見た記憶は無かった。
「穂波さ……あわわっ」
アキが声をかけようとする前に、外国人観光客の集団がやってきて目の前を横切り、気が付けば穂波の姿は見えなくなっていた。
「アキ、どうかした?」
追いついてきた七瀬がアキに尋ねる。
「あ、ううん、別に」
その後、しばし街を見て回った後に集合した時には穂波の姿もあり、優奈と何やら話をしている様子では特に変わったところは見られなかった。もしかしたら長時間のバス旅行で疲れでもしたのか、ならば旅館に行ったらマッサージでもしてあげようか、そんなことを考えるアキであった。
第二章第2話 終
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