原作:只野温泉
ストーリー:東京テルマエ学園 共同製作委員会
第一章 第9話 『学園案内』
先導して学園内を案内しながらゆかり女史は説明する。
「まず授業の内容は、温泉学、経営学、ツアコン過程、集客マーケティング理論の四つから構成されます。これに外国語コースが加わります。これからの旅館経営には海外からのお客様のために外国語をマスターしなきゃあダメよ」
外国語、と聞くと、アキは今朝の出来事の事を思い出してしまう。勉強は苦手とは言え、高校までで勉強していたはずなのだが、実戦では何の役にも立たなかった。
「次に特別課外実習。これは全国各地の人気温泉地に出掛け、なぜ流行ってるのか、なぜ集客が出来ているのかのレポートを書いてもらいます。このレポートが単位取得につながるので、真面目に書いてね」
説明を受けながら、視線を感じたように思えて壁を見ると、変な絵画が飾ってあるのに気付いた。モナ・リザっぽい絵画や、フェルメールの「青いターバンの少女」のパロディ、ピカソのアヴィニョンの娘たちのフェイク、ルノワールのイレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢に似ている絵まで飾ってある。
だが、アキは「高そうな絵が飾ってある」と感心しながら眺めるだけだった。
「それと私のことTVで知っている人いらっしゃるとは思いますが、私の研究課題は『混浴学』よ。世の中に「混浴温泉の素晴らしさを伝えること」がわたしのモットーだから、みなさんもヨロシクね」
ゆかり女史がそう言うと、「えー、それって俺たちも混浴体験できるんすかー?」と、とある男子生徒が聞いてきた。
「もちろんよ! それもこのクラスで体験してもらうわよ」
「「「えぇーーーーーー!!!!」」」
その言葉を聞いた女生徒たちはたちまち青ざめ、男子生徒が「おぉー!」と歓喜の声を上げるのであった。
騒がしい中で、七瀬はアキの服をくいっと引っ張り、その耳元に口を近づけた。
「思い出した……あの先生、どこかで見たことがあると思ったら…、確かマルコの知らない世界で見たことあったのよ!ど、どうしようアキ……私、混浴とか絶対ヤダ!身体に自信ないもの…」
そういう七瀬に向けて、親指をぐっと立てたアキは能天気に「ダイジョーブだよ、私たち猿と一緒にお風呂入った事あるから」と返す。
この時、七瀬は真剣に思った。私の親友はアホだったと。つまり相談する相手を間違えたのだ。
「あの、いやいやいや、猿は猿でしょ…?」
「え?猿も人間も霊長類のオスじゃない?一緒よ一緒!」
「いやいやいや!まったく違うから!人間のオスと猿のオスと一緒にしないで!!」
七瀬はそれなりの大きさの声を上げたが、周りの騒ぎ声にかき消されていった。
4階の階段を上がった先には、ゲートのような扉がある。扉の前には「学生寮」と立て看板が置いており、入り口には「当学園の生徒以外の通行は禁ず」と書かれていた。
ICカードで、ゆかり女史が扉を開ける。自動扉になった門を開けると、1号室が書かれた
扉が廊下を挟んで何か所かあった。まるでホテルの客室か分譲マンションのようである。
「まず、ここが学生寮。皆さんはここで暮らして頂きます。シェアハウスになっていて八人一組になっています。キッチンとトイレは共用ね」
空き部屋になっているドアを開けると、広くてきれいな部屋が目に飛び込んできた。
「一応先に注意しておきますけど、男子は決して女子寮に行かないこと!」
と、ゆかり女史は男子生徒を見ながら強めの口調で言った。
「すべてのドアはオートロックで、この温泉手形がないと入れません。温泉手形は絶対に失くしちゃあダメよ」
七瀬は珍しそうに部屋中を見回す。
「へぇ、マンションみたい……ずいぶん豪華じゃない。私の部屋より立派……」
アキも一緒に見回しながら「すっごい豪華……こ、こんな所で暮らせるのかぁ」
そう呟いて、アキは目をキラキラと輝かせていた。
校内食堂も広くてきれいな空間だった。
「ここが食堂よ。バイキング形式で好きなものが食べられます。もちろん味も最高よ。なんたって一流ホテルのシェフが作っているからね」
入学式前に待機していたカフェも立派だったが、構内食堂はさらに立派なたたずまいがあり、どちらかと言うと高級ホテルのレストランのような雰囲気がする。
「一品二〇〇円程度だから、とぉってもリーズナブルよ……食べ過ぎに注意ね。ちなみに、ここもカフェになってて、お酒も飲めるのよ。ここから見る東京の夜景ってきれいよぉ……ただしお酒は二十歳からね!」
「へぇーっ、スイーツまで選べるんだぁ……確かに、食べ過ぎに注意しないと……」
アキは、鮮やかな色の聞いた事もないようなオシャレなスイーツが並んでいる光景が思い浮かべていた。
「そうだよ、アキ……食べ過ぎてそれ以上育ったらどうするの?」
「なんか言った、七瀬?」
「なぁんでもない」
七瀬はわざとらしく口笛を吹きながら目を逸らした。
「ここがレクリェーションルームよ!」
生徒の間から「わぁ!」という歓声が上がる。
「ミニシアターやカラオケの舞台もあるし、ビリヤードやダーツ、それに卓球台まであるわ!」
みんなで談笑したり、遊んだりする交流の場になるのだろう。
「ちなみにカジノゲームなんかもできるわよ。もちろん換金はできないけど雰囲気だけは楽しめるわよ。カジノ法案が国会で通ったのも皆さんはご存知ね。いずれ日本はラスベガスやマカオのようにホテルの中にカジノが出来るんだから、ここでカジノの勉強もすればあなたたちもプロのディーラーになれるわよ」
そして次に案内されたのは体育館だった。
「ここではバレーやバスケット、テニスやフットサルまでできるわよ」
アキの母校の体育館よりも広くてきれいな施設だ。
「すっ、凄い」
アキがそう言うと、ピカピカの床に声が反響した。
「先生!質問があります」
身長は170㎝近くはあろうだろうか、すらりと伸びた手足と、小顔で目鼻立ちが整った顔立ち。いかにも八頭身ばりの女子生徒から質問が上がった。
「ゆかり女史と言ってね」
「はい、ゆかり先生。ここってダンスのレッスンできるところってあるんですか?」
「あるわよ。この体育館の向こうはアスレチックジムスタジオとエアロビクスやダンスもできるような一面鏡張りのスタジオもあるわよ」
女子生徒は言った。
「えー、感激!ここでもダンスできるなんて夢みたいです」
ゆかり女史は言った。
「たしか、あなたって高校のときチアダンスで世界大会に出場したメンバーだったよね」
「はい、先生。福井は芦原温泉からやってきました、向坂汐音と申します。福井県立福井北高校出身。チーム名は「スターウォーズ」でキャプテンやってました」
えーっていう女子生徒たち。アキもそのチーム名くらいは知っている、確か5年連続してその福井のチームは全米制覇したはず。そんな凄い人がなんで温泉経営の学校なんか入ってきたのだろうか。私なんて運動とは全く縁遠い人だし、まして胸が高校の時から大きかったせいか走るたびに胸がゆれ、体育の時間の時なんかは男子生徒の注目になったりなんかして、どちらかと言うと体育は嫌いな授業だった。
「そして……」
橘ゆかりはここぞとばかりにタメる。
「ここが、みんなが入れる浴室よぉ!」
『テルマエの湯』と書かれた場所の暖簾をくぐると、浴室があった。中は男湯と女湯の看板で分かれている。
ゆかりは、まず男湯の扉を開け、生徒全員を中に入れた。湯の匂いから、そこが天然温泉である事が分かる。
「ここは、200mボーリングして掘り当てた天然温泉ね。ジェットバスから寝湯、ネオン風呂から露天風呂まで付いてるわ」
「そしてここはサウナ」
「あえて部屋に浴室が付いてないのは、ここで他のクラスの人と交流を深めるため、という意図があるの。裸になれば皆同じ。みんな平等よ。」
「入浴時間は、朝六時から夜は十二時まで。ただし十時~十五時までは清掃タイムだから注意が必要よ!」
ゆかりの説明にも熱が入り、早口になっている。
「うちの旅館のお風呂よりも凄い!」
女子生徒の誰かがそう言った。
並の温泉よりも施設が充実している。これが学校施設の一つだとは思えないほどの豪華さである。屋上の露天風呂からは東京全体が見下ろせる。今日は晴れていて、より遠くまではっきりと見えた。
長野の山は見えるだろうか、とアキは目を凝らしてみたが、そこまでは確認できなかった。ここは新宿、当たり前である。
「ゆかり先生、ここも男女混浴で入ってええんですか!?」
手を上げて質問をしたのは八郎だった。
期待に満ち満ちた顔をしており、他の男子も程度の差はあれども同じような気持ちを抱いていることが分かる。
「馬鹿ね、入り口にちゃんと男湯、女湯と書かれているの見えなかったの。私の『混浴学』はあくまで私の授業における時だけ。普段、そのようなことをしたら、覗きどころか侵入罪で断罪しますからね、体罰程度ではすまないわよ」
「ええっ、そんな殺生なぁ」
「それにエロ目的の混浴行為は許しません。いいですね?」
不平、未練を残しているような八郎だったが、ゆかりから釘を刺されて元気なく萎れてしまった。発言内容はただの助平心丸出しだったのに、消沈ぶりがあまりに情けなかったので、アキを含め周囲からは、またしても笑いが起こった。
ところが、ここで誰一人考えもしていなかった事態が発生した。
「チョト、イデスカ?」
留学生の一人が手を上げた。タイの留学生でニムライチャッカ・ソムバルメークンだ。本名は長いから愛称の『ハン』で呼んで欲しいと、留学生の自己紹介の時に言っていた。
「ワタシ。国ノ、戸籍、オトコデス。ドッチ入リマスカ?」
一瞬、全員がその場で固まった。
「ええーっ?」
次いで全員が声を上げた。
「ツゥーイヤーズ。二年、マエ『レディーボーイ(ニューハーフ)』ナリマシタ」
「取っちゃったの?あんた」
先ほどの金髪の生徒が平然と聞くと、ハンはにっこり微笑んで頷いた。胸の膨らみも、顔も体のラインも女性にしか見えない。
「学園長は、知ってるんだよね?」とゆかり女史が言うと、
「チャーイ(はい)」
猫が鳴くようなエロい声でハンが答えた。
「マンゴロー、サンガ、ヘッドティチャーに、オネガイしてクレマシタ」
「マンゴローさんって、誰?」
「マンゴローサンは、シンジュク2丁目の、有名ナヒト。ワタシの国デ、レディボーイタクサンお世話ナテル」
「あー、何となくわかったけど……まあいいや。ちょっと、いちお、体見せてくれる?」
そう言って金髪の女性はハンを女湯の方に連れて行った。他にも数人の女子が二人について行った。やがて悲鳴に近い歓声がどこかから聞えてきた。
「文句なしに女だわ」
ラウンジに戻ってきて金髪の女性が言った。
「体で負けるの、何人かいるだろうね。あれ男子と一緒にしたら男子の方が可哀想だわ」の声が起きたのであった。
「まぁ、いいわよ。あなた女性として登録されているし、当然女湯に入っても差し支えないようだし」
そして、ゆかり女史から生徒たちに向かって最後の言葉が発せられた。
「これだけの勉強と実地研修そしてインターン実務の他に、あなたたちは自力で学費を支払うためにアルバイトをしなくちゃいけないのよね。大変だと思うわ……アルバイト先と仕事や勤務については詳しいことを学校に報告。まあ、よほど変な仕事じゃないかぎり不許可にはならないでしょうけど。質問があったらどうぞ」
「すんまへん」
またもや大塩八郎が手を上げた。何事にもめげない性格は羨ましい限りである。
「またあなたなの。名前と出身地があれば名乗ってね」
「せんせ、わいの名前は大塩八郎、大阪生まれの大阪育ちでっせ。実家は『なにわ温泉物語』つー、スーパー銭湯チェーンやっとります」
わかりやすい関西弁だった。
「わいは奨学金免除なんやけど、アルバイトはしてええってことでっしゃろか?」
ゆかり女子は、何か誘うような粘液質の笑顔で頷いた。
「この東京テルマエ学園を経営するミネルヴァグループは、入学金や授業料欲しさで生徒集めをしている学校とは違うの。より良い温泉旅館・ホテル経営を目指す学生のために私財を投げ打って建てた学園なの。よって学生の抱え込みや青田刈りを考えているわけじゃないわよ。ミネルヴァが奨学金を出して、あなたたちは勉強しながらそれを返済することができるっていう制度があるということがこの学校の唯一の利点。ここにいる何人かの生徒は、高校を卒業したらそのまま家業の温泉宿を手伝う以外に選択肢がなかった人もいるはずよね」
アキと七瀬は一瞬顔を見合わせた。そんな身の上は自分だけではないと、さっき白布涼香や大洗圭と話していて知ったのだ。
「それとは逆の人もいるわね」
ゆかり女史のぽってりと艶やかな唇、その端に意地の悪そうな笑みが加わった。
「いずれ家業を任せなくてはならないのに、仕事に対する理解がなくお客様をクレジットカードとしか見ていない……そんな問題を抱えてここへ送り込まれた人もいるらしいわね」
「わ……ワイは、そんな……」
八郎がたじろいだが、ゆかり女史は彼に視線を向けたまま小さく首を振った。
「あなたがそうだとは言っていない。ただそんな個人の事情は、その温泉が抱える悩みそのものでもあるの」
ラウンジの後ろにあるドアが開いて、スーツやトレーニングウエアの一団が入ってきた。
「まあそれば別のこと。あなたたちが学ぶのは温泉施設の経営と運営、運営は施設のなかで実際に働くのが早いし有効なのよ。つまり現場での教育……それじゃ私の話はここまで。あとは職員の人たちから寮の説明するから話を聞いててね」
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つづく
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