原作:只野温泉 

ストーリー:東京テルマエ学園 共同製作委員会

 

第一章 第4話 『上京』

 

4月5日の午前5時。

 

アキは布団を畳んで、シーツと枕カバーを外した。

パジャマを着替えていると、廊下で猫が襖を開けろと催促をする。

襖を開けると猫が部屋に入ってきて、畳に座ってじっとアキを見上げた。

「チロ。私が帰ってくるまでお婆ちゃんのこと、お願いね……」

 

 頭を撫でるとチロは喉の奥で声を出し、アキの手を何度か舐めた。

午前5時15分。アキは厨房に入って、お客さんの朝食を準備する祖母の手伝いをした。

こんな時に限って2部屋ともお客さんが入っているのだ。

 

「いいから、支度しな」

 

 そう言う祖母にアキは黙って首を振り、いつもするように皿を出して盛り付けの順に並べた。

口を開いたら泣き出してしまいそうだった。

午前6時、アキは夕べ何度も詰め直した旅行用キャリーケースを再び開けた。開けてはみたがやることは何もなかった。

アキは無言で今日まで過ごしてきた部屋の中を見回した。チロがまたやってきて、廊下に座ってじっとアキを見つめている。

部屋のカーテンを閉め、襖を閉じた。アキはデニムとトレーナーの部屋着を脱いで、下着を全部新品に代えた。黒いストッキングをはいた。タイツははいたことはあるがストッキングは初めてで、かなりおっかなびっくりだった。

 

七瀬と相談して、入学式に着ていくのは高校の制服と決めたのだ。でも女子高生ではないので自分たちで行くとも決めた。

上着を着て、スカートをはく。スカートのウエストを2度折って、ひざ上10センチくらいのミニ丈にした。

カーテンを開けて、アキは姿見に映った自分の姿に赤面した。30デニールの黒いストッキングは脚のシルエットをひどく強調させて、むっちりしたアキの脚をもの凄く目立たせている。

 

「ひええ……」

 恥ずかしくなって、アキはスカートの折りを一回戻した。

 

6時15分、アキは音を立てないようにしてキャリーケースを部屋から玄関に運び出した。それから厨房に入って祖母に声をかけた。

 

「行って……きます」

 

 祖母はコンロの火を弱め、アキの前に来て頭を撫でた。

 

「体に気いつけてなぁ」

 

 何も言えなくなって、アキは口を押さえて頭を下げた。玄関まで来たチロの頭とアゴを撫でて、アキは静かに温水旅館を出て引き戸を閉めた。チロが、最後までじっとアキを見つめていた。

 

 

 七瀬のお姉さんが運転する車で、アキと七瀬は湯田中の駅まで送ってもらった。

 

「よく……アキのお婆ちゃんが許してくれたね」

 角間川沿いの道をゆっくりと走りながら、七瀬の姉である奈美が言った。

「もう……今まで通りに、やってたんじゃ。ダメだから……勉強してくるって……」

 誰に見られるわけではないのに、ずり上がって腿の半分以上が露出するスカートを引っ張りながらアキが答えた。

「まあ……七瀬みたいに動機が不純じゃないからいいんだろうね。アキちゃん、七瀬がちゃんと学校行くように見張ってね」

「あたしだってちゃんと勉強して、家の役に立ちたいのに!」

 七瀬が憤然と抗議したが、姉は全く信用している様子はない。

湯田中駅には、アキと七瀬以外に始発電車を待っている客は一人だけだった。

 

「二人とも、これで顔しっかり拭いて」

 奈美が、バッグから濡れティッシュのような物を出してアキと七瀬に渡した。二人がそれで顔を拭くと、奈美は二人の顔に手早く淡い色のルージュとアイラインを引いた。

 

「はい、これで見栄え良くなった」

 

 手鏡で自分の顔を見せられたアキは、何度か瞬きして自分を見直した。唇に色が入って目の縁に線を入れただけなのに、もの凄く顔のイメージが変わってしまった。七瀬と顔を見合わせて、お互いにちょっと目を見張った。信州中野行きの電車が入ってきた。

 

「簡単に男について行くんじゃないよ。あんたらなんて、あっと言う間に騙されるからね」

 それぞれ背中を平手で叩かれた。

「いろいろ……お世話になりました」

「七瀬を、よろしくね」

 

 ホームで、アキはガラスに映った自分の姿に目を留めた。胸の大きさが目立つので、いつも何となく猫背になってしまう。息を吸って背中を伸ばした。もう一度ガラスに目をやると、そこには見たことのない女が映っていた。

 

「信州中野行き、出発しまーす!」

 

 出発の時には『麗しの志賀高原』はかからない、普通のベルが鳴るだけだ。ドアが閉まり電車が動き始めても、二人はそのまま動かなかった。まだ窓の外はうっすら暗く、二人の少女は見知らぬ自分を見つめたままただ立ち尽くしていた。

 

 

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つづく

 

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