太古には一種の薄明るい見霊能力が存在しており、そこから神話、伝説が生じたこと、そしてこの見霊的意識は、丁度混血が現在の明るい意識を生んだように、同族の血を純粋に保つことによってはじめて可能であったこと、このことは神秘学にとって測り難いくらいに重要な事実である。論理的思考が異族婚とともに発展したということは、今のところまだ奇異な主張にとどまっているが、やがて科学的にも実証されるようになるだろう。その端緒はすでに作られている。異族婚によって生じた混血は、それまでの見霊意識を失わせたが、その代わり、人類の意識をさらに一段と高い発展段階へ引き上げた。今日の覚醒時の日常意識はこの古い見霊意識から発展してきたのである。しかし今日われわれはこの発展段階をふたたび引き上げて、先祖返りするのではなく、かつての見霊能力を新しい形式の中に復活させようと努めている。


道徳的態度に関しても、混血によって大きな変化が生じた。太古の人間の場合、肉体に内在している祖先たちの特定の善や悪への傾向が血に現れていた。子孫の血の中に祖先たちの生き方の結果を読み取ることもできた。異族婚によって祖先たちとのこの霊的縛りが断たれたとき、各人は霊的孤立して個人生活を営むようになった。各人は自分個人の生活の中で経験してきたところに従って、自分の道徳的傾向を決定することを学んだ。純粋な血においては、祖先たちの権力が、混血においては、自分自身の体験の権力が支配している。このことを諸民族の神話、伝説がよく物語っている。神話には、「お前の血に対して権力を揮うものが、お前を支配する」、という思想がよく現れてくる。民族伝統の権力は、もはや血に作用することができなくなったとき、そして外からの血の混入によって、新しい血がもはや祖先たちの権力を受け継ぐことができなくなったとき、消えていくしかない。


ルドルフ シュタイナー『血はまったく特製のジュースだ』高橋巖 訳