二十世紀初め、シュタイナーは「人類は境域を渡った」と語っている。人間がさまざまな試練を経て成長するように、人類も進化の過程でさまざまな試練に出会う。境域 ー 自己の限界域 ー に立たされるのも一つの試練である。

境域では、現代の科学的観点では知られていないさまざまな力が人間に働きかけていること、そこには人間を進化させ内的な成長に向かって助ける力もあれば、人間性の退化や衰退、破壊へと進める力もあること、そして正しい判断は自我の力を必要とするが、その自我の力が現代社会ては十分に育っていないことなどを理解しない限り、これらの(多様な)行動は理解できないだろう。現代人のだれもがあるきっかけで境域を超え、心身のバランスを崩し、心の病また極端な行動に走る可能性を内在しているのである。

では境域の体験とはどういったものなのか?通常私たちの中で、自我が、思考、感情、意志という三つの魂の機能を統合している。境域を超えると、自我が魂の諸力を統合できず(統合失調という病名は的を射ている)それぞれがバラバラに機能する、あるいは一つの力が突出してしまう。

さらに境域を超えると、人は出会う対象と一体化する。「自分以外の何かになる」変身願望が満たされる魅了される世界が広がっている。その一体化を中断して、境域のこちら側へ、本来の自分に戻ってくるには強い自我の力、意志の力が求められる。自我の力が十分に育っていないと、境域体験に圧倒され、翻弄されることになる。境域の向こう側の存在や力は善意のものだけとは限らない。多くの悪夢のような体験や悪魔的存在に苦しめられることもあるのである。多くの幻覚や幻聴現象もここに起因するといえよう。

シュタイナーは、通常の感覚を超えた世界への境域を人類が渡るであろうこと、そしてその経験を生かすことのできる自我の力は弱まってゆくであろうことを知っていた。そのために自我の確かさを、日常生活での修練によって獲得するさまざまな道を『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』はじめ多くの著作や講演で示した。準備ないままに、境域を超え、苦しむ人びとの回復に携わる療法者はもちろん、現代に生きる誰にとっても、日々のふりかえりや内省によって自我の成長に努め、内的生活を豊かに育てることが、心身の健やかさにつながる確かな道である。

『シュタイナーのアントロポゾフィー医学入門』(社)日本アントロポゾフィー医学の医師会 監修