P,S (1)
・植木の事 他
東京日産で係長に成って、すぐ親父と兄貴と3人でネクタイの卸を始める。と言う事で退社した。そのあと5年位でその会社が倒産して、「何か職を探して欲しい」と尋ねて来た。それで、僕の成蹊時代の山本君がダイレクト・メールの会社をやって居たので、彼に事情を話して就職を依頼した。「ウンとってやるよ。でも、保証人は取るよ...」「明治の島岡監督に聞いてよ」やっぱり倒産したと言う事は結構厳しいな...と思った。山本君が明治の理事を知って居て、その人を通じて島岡監督に意向を聞いたら、「人物は保証するけれど、金銭的な保証はしないよ」と言う返事だった。僕は植木君の奥さんも知って居たので、会社へ来て貰った。その時奥さんは、「絞りの羽織」を着て来て、顔色も元気だったので、二人に島岡さんの意向を伝えた。それでダイレクト・メールへ途中入社して定年まで勤めて、その後,タクシー運転手をしていた。10年位たったある日、突然、僕の自宅に電話が掛かって来た。「マッサン、俺ね 警察に捕まって手足ベットに縛られているんだよ」「どうしたんだ?」「俺何にも悪いことしていないよ...」どうも、様子がおかしいな...と思い電話を切って、奥さんに電話を掛けた。そうしたら、「ボケて頭がおかしくなって病院に入れてあるんですよ」と言う事だった。それから2年位して亡くなってしまった。よく家の電話番号を覚えていたなと驚いてしまった。一緒に明治から入った木村君も東日で役員に成り、定年後奇病に取りつかれ10年位呼吸だけしている状態で亡くなった。皆、元気の時には神宮のネット裏に来ていたが、エース石川勝男君も神宮で「マッサン 」と挨拶に来るときに、あの急な階段で転んだ。パーキンソ病だったとの事。兎に角、六球会で1年一回だが、東日の野球部の仲間が5人も一緒に成るなんて他にはない事。
早稲田の渡辺文学君は元気で、大きいテーマの「タクシーの禁煙」を成し遂げって、さらに禁煙活動に取り組んでいる。硬式野球は出来なかったが、東京の優勝は、皆、満足したようだ。
P.S (2 )イベントの反響
大学リーグには、60歳以上の六球会と言う親睦会がある。野球、ゴルフで昔は麻雀もやって居た。時節柄、麻雀は止めにして、ゴルフと野球は現在も続いて居る。それにしても
R石川、黒沢、 M木村、W遠間、森、渡辺、村松なんて連中と神宮で再会するなんて、本当に驚きと嬉しさで一杯だった。稲門倶楽部の大道会長は、東京日産の社長の弟さん、慶応のスパーオービー徳丸さんとは、大昭和製紙で一緒...お二人とも大喜び...楽しかったなあ…
・伊東遠征
何の大会だったか忘れたが、伊東球場であった大会の時、会社の保養荘があったので,そこへ泊った。あくる日は台風が来てゲームは出来ない。それから三日雨で試合は延期。地元の人は、「大室山のテッペンが青空に成れば晴れるよ...」と言う。会社に連絡して許可を貰い延泊したが、することがない。結局、麻雀とバット振りばかり...伊東球場は学校の時、2度くらい冬季練習の時に来たことがあったが、こんなことはなかぅた。
部員たちは学校気分に戻ったように喜んでいたが、僕は心配で気が気ではなかった。毎朝、大室山の頂上ばかり見ていた。でも楽しかったな...勿論、麻雀もやった...