‘26-5-19 “思い出 10 外国人”

★  Massy’s Opinion

・留学生

自動車の部品商を辞めて、喫茶店にした。ワイフとワイフの姉さんに助けて貰い、基本的に3年間無給で部品商の赤字を消す計画を立てた。森ビルとの再開発計画で、10坪の店が30坪の店に成った。当然、従業員の増員は必要で募集に精を出した。義兄が「お兄さん、外国人の子が応募に来たよ。今年、中央大学に入るんだって...住まいは飯倉のマンションに姉さんが居て、上智大に通って居るんだって...使いたいんだけど日本語も少ししか話せないし...」「どうしても人が足りないのなら、使ってみたら、、、」この子が、アリス・タンと言う、中国系マレーシア人18歳だった。僕は,早速、高田の馬場の入管へ行って外国人を雇う時の保証の範囲とか、色々注意点を聞きに行った。ああいう役所は、フロントに古手の女子職員が居る、ベテランでいい人が居るのだ。これはどこの役所でも同じだ。その人に「良い子もいますから出来るだけバックアップしてあげて...」と言われた。採用することにして2ケ月位立った時、日本語学校の旅行で伊東の方え行き、お土産にパックに成っている内の一つをもって、「オーナー私のお土産です...」と言って真っ赤な顔をして僕を追いかけて来た。パックの中の一つだけの温泉饅頭なんて本当に驚いたが、「精一杯の彼女の気持ちだろうと思って喜んで受け取った」ある時、成績表持って我が家え来た。

「オーナー、日本の学校おかしいよ。私の成積皆日本語で書いてB以上なのに日本語だけがC何て...」「タンちやん、日本語と言うのむずかしいんだよ。君の日本語は、学問として見ればまだまだなんだよ...」と言ってなだめた。その後卒業して、帰国し日本大使館に勤務し、松下電器にも勤めていた。結婚もして子供も男、女の二人、子供たちもイギリス留学させている。家も2軒持っているしこの子が日本へ来ると必ず家によってくれる。

・アリス・タン マレーシア 中央大学  日本大使館、松下電器、等

 

・チェン・ホイソウ マレーシア 立命館大学 在香港 タンちゃんと一緒に来日 我が家に2年位ステーしていた。香港へ行った時にはいつもガイドをして貰った。

 

・カク・ワンレエイ 台湾 青山学院  旅行会社  2年間我が家にステーしていた。娘さんが3年前に3ケ月我が家にステーしていた。「鶴の恩返し」のダイジェストを毎晩読ませて、一と月は書き取りで日本語を教えた。

 

・チョウ・ショウ  北京 慶応大学 工学部大学院

慶応大学院へ留学しに来た。慶応へ来たんだから「経済の勉強もしたいと言うので、「慶応読書会」に入れて貰った。読書会の先輩方に「増田さんいいことをしましたね...」と凄く褒められた。今は、アドビに勤めサンノゼに住んでいる。恵がとても世話に成って、不思議な縁で結ばれている。

 

・イエ・トン 創価大学 在日

ミヤンマーへタクシーの中古車を350台輸出した時、通訳が必要で、大使館で紹介してもらった。駐日大使の息子で、当時、学生 卒業後日産特販で採用した。

この他にも付き合いのある人は沢山居る。然し、悪い人は一人もいない。

皆、子供を育て良い暮らしをしている。人の縁は海外でも続くようだ。