「分かったつもり」が、一番危ない。
障害福祉の仕事をしていると、「相手を理解する」という言葉をよく耳にします。
利用者を理解する。
保護者を理解する。
その人らしさを理解する。
もちろん、大切なことです。
しかし私は、この「理解する」という言葉に少し慎重でありたいと思っています。
なぜなら、人間は「理解する」前に、「思い込む」生き物だからです。
心理学では、こうした無意識の思考の偏りを認知バイアスと呼びます。
認知バイアスとは、物事を素早く判断するために人間が身につけた「心の近道」です。
本来は危険から身を守るために必要な能力でした。
しかし現代社会では、この近道が誤解や偏見を生むことも少なくありません。
例えば、一度「この子は人見知りだ」と思い込むと、その子の人見知りな場面ばかりが目につくようになります。
逆に、笑顔で他者と関わっている場面は、「たまたま機嫌が良かっただけ」と見過ごしてしまう。
これは確証バイアスと呼ばれるものです。
自分が信じたい情報だけを集め、反対の情報を見落としてしまう。
支援の現場では、とても起こりやすい認知バイアスです。
また、「昨日は落ち着かなかった」という印象が強すぎて、「いつも落ち着きがない子」という評価に変わってしまうこともあります。
たった一日の出来事が、その人全体の印象になってしまう。
これも認知バイアスの一つです。
障害福祉では、支援者が利用者を評価する場面が数多くあります。
しかし、その評価を行う支援者自身も、一人の人間です。
つまり、支援する側も認知バイアスから逃れることはできません。
ここが重要です。
障害のある人だけを理解しようとするのではなく、
まず、自分自身が思い込みを持つ存在であることを理解する。
私は、それが良い支援の出発点だと思っています。
哲学者のソクラテスは、「無知の知」という言葉を残しました。
「私は知らない」ということを知る。
これは決して知識不足を意味する言葉ではありません。
自分の判断にも限界があることを自覚する姿勢です。
障害福祉の現場でも同じではないでしょうか。
「私はこの子を理解している。」
そう思った瞬間、人は考えることをやめてしまいます。
その瞬間から、その子は「生きている一人の人」ではなく、自分の中で作り上げたイメージになってしまう。
私は以前から、この状態を**「想像停止」**と呼んでいます。
認知バイアスとは、単なる心理学の用語ではありません。
想像停止が起こる仕組みを説明した言葉なのだと思います。
もちろん、認知バイアスをなくすことはできません。
それは人間が持つ、ごく自然な性質だからです。
だから目指すべきなのは、「バイアスのない人」になることではありません。
「もしかすると、自分は思い込んでいるかもしれない。」
そう問い直し続けることです。
支援とは、正しい答えを持つことではありません。
利用者と出会い直し、保護者と対話し、自分自身の思い込みにも気づきながら、何度でも理解を更新していく営みです。
障害のある人を理解する前に、
まず、人間は誰もが認知バイアスを持つ存在なのだと知ること。
