障がい者支援と哲学

障がい者支援と哲学

岐阜で障がい者支援施設オークハウスを運営するTETSUが、ケア倫理やクオリア、「関係性」「場」を軸に、障害福祉を哲学的に問い直すブログです。

「分かったつもり」が、一番危ない。

 

障害福祉の仕事をしていると、「相手を理解する」という言葉をよく耳にします。

利用者を理解する。

保護者を理解する。

その人らしさを理解する。

もちろん、大切なことです。

しかし私は、この「理解する」という言葉に少し慎重でありたいと思っています。

なぜなら、人間は「理解する」前に、「思い込む」生き物だからです。

心理学では、こうした無意識の思考の偏りを認知バイアスと呼びます。

認知バイアスとは、物事を素早く判断するために人間が身につけた「心の近道」です。

本来は危険から身を守るために必要な能力でした。

しかし現代社会では、この近道が誤解や偏見を生むことも少なくありません。

例えば、一度「この子は人見知りだ」と思い込むと、その子の人見知りな場面ばかりが目につくようになります。

逆に、笑顔で他者と関わっている場面は、「たまたま機嫌が良かっただけ」と見過ごしてしまう。

これは確証バイアスと呼ばれるものです。

自分が信じたい情報だけを集め、反対の情報を見落としてしまう。

支援の現場では、とても起こりやすい認知バイアスです。

また、「昨日は落ち着かなかった」という印象が強すぎて、「いつも落ち着きがない子」という評価に変わってしまうこともあります。

たった一日の出来事が、その人全体の印象になってしまう。

これも認知バイアスの一つです。

障害福祉では、支援者が利用者を評価する場面が数多くあります。

しかし、その評価を行う支援者自身も、一人の人間です。

つまり、支援する側も認知バイアスから逃れることはできません。

ここが重要です。

障害のある人だけを理解しようとするのではなく、

まず、自分自身が思い込みを持つ存在であることを理解する。

私は、それが良い支援の出発点だと思っています。

哲学者のソクラテスは、「無知の知」という言葉を残しました。

「私は知らない」ということを知る。

これは決して知識不足を意味する言葉ではありません。

自分の判断にも限界があることを自覚する姿勢です。

障害福祉の現場でも同じではないでしょうか。

「私はこの子を理解している。」

そう思った瞬間、人は考えることをやめてしまいます。

その瞬間から、その子は「生きている一人の人」ではなく、自分の中で作り上げたイメージになってしまう。

私は以前から、この状態を**「想像停止」**と呼んでいます。

認知バイアスとは、単なる心理学の用語ではありません。

想像停止が起こる仕組みを説明した言葉なのだと思います。

もちろん、認知バイアスをなくすことはできません。

それは人間が持つ、ごく自然な性質だからです。

だから目指すべきなのは、「バイアスのない人」になることではありません。

「もしかすると、自分は思い込んでいるかもしれない。」

そう問い直し続けることです。

支援とは、正しい答えを持つことではありません。

利用者と出会い直し、保護者と対話し、自分自身の思い込みにも気づきながら、何度でも理解を更新していく営みです。

障害のある人を理解する前に、

まず、人間は誰もが認知バイアスを持つ存在なのだと知ること。

私は、その謙虚さこそが、障害福祉に最も必要な専門性の一つではないかと思っています。