障がい者支援と哲学

障がい者支援と哲学

岐阜で障がい者支援施設オークハウスを運営するTETSUが、ケア倫理やクオリア、「関係性」「場」を軸に、障害福祉を哲学的に問い直すブログです。

人を「単なる手段」にしないという原則

 

福祉事業にとって、お金は必要です。
建物を維持し、職員に給与を払い、安全を確保し、責任を持って運営するためには、現実的なお金が不可欠です。

だから私は、お金の話を避けるつもりはありません。
福祉が経済の外にあるという幻想は、むしろ危険だと思っています。

しかし、ここで絶対に確認しなければならないことがあります。

お金は手段であって、目的ではないということです。

哲学者カントは言いました。
「人間を単なる手段として扱ってはならない」。

人は何かの道具ではない。
目的そのものである。

この原則は、福祉事業にそのまま当てはまります。

まず当然ながら、利用者を単なる手段にしてはなりません。
利用者が事業の収益構造の中に位置づいていることは事実です。契約も加算も制度上は利用者に紐づいています。福祉は現実の経済の中で運営されているからです。

しかし、その人を「収益を生む存在」としてのみ見る瞬間、倫理は崩れます。

利用者は数字ではありません。
契約件数でも算定項目でもありません。
その人の生活そのものが、私たちの営みの中心にあるべきものです。

そして同じことは、職員にも言えます。

事業を維持するために無理をさせる。
加算を取るために業務を過剰に積み上げる。
「やりがい」という言葉で疲弊を覆い隠す。

これもまた、人を単なる手段にしている構造です。

利用者を守るために職員を消耗させる。
職員を守るために利用者を効率化する。

どちらも、手段と目的が入れ替わった状態です。

福祉事業の目的は、人が安心して存在できることです。
お金はそのための燃料にすぎません。
燃料を集めること自体が目的になれば、走る意味は失われます。

利益は否定しません。
経営の安定も必要です。

しかし最終的な問いは、いつもここに戻らなければなりません。

この判断は誰のためか。
この選択は何を守っているか。
誰かを単なる手段にしていないか。

手段と目的の順番を間違えないこと。
それが福祉事業において、最低限守るべき倫理なのだと思いま