自分の髪質コンプレックスと、共に歩んだこの数十年。
私は天パです。
小さい頃は、茶色でクリクリしていて可愛かったらしい。
高校生迄は、ずっとショートカットで、高校生になって始めて髪を伸ばしたけども、個性を感じなくて嫌になりました。
女の子らしくモテたいよりも、あの頃の私は私だったと振り返ります。
島根を離れ大阪へ引っ越し、行きつけの美容室が決まらなくて、月日が過ぎ勝手に髪が伸びてしまい、その頃の手間の割には思うほどサラッとしなかったストレートパーマをかけて普通の女子になった19歳の冬、やたらモテ始めた。
私の中身なんて知らないくせに、ストレートロングになっただけで、世はこんな感じかと少し残念に思ったのを覚えている。
田舎から出てきたばっかりの、芋臭さがウケるのか?
所詮普通がウケるのか?
当時、目は一重だったし絶対可愛いくなかったと自信を持って言える。
なのに、髪がストレートのロングってだけで…
今と変わらず、誰にも媚びなかったのに、ストレートロング恐るべし。
それから、広島で美容師になり、私の勤めたサロンは比較的高級サロンだったのであまり個性は出せずにお姉様風の偽りの私にモヤモヤしていた頃、同じサロンに東京帰りの5つ上の先輩スタイリストが入社されました。
今でも可愛いがっていただいている程、当時からとっても意気投合して、その先輩の影響で、やっと少し個性を復活。
その後、家庭の事情で島根に帰る事になり
そのお姉様風サロンから離れ、そこから数年は
髪の毛で、やれる事は全部やってみました。
金髪ショートにしたり。
スパイラルのロングにしたり、自分の髪の毛をデザインした事に悔いは無い。
お陰様で、髪の毛は傷みを通り越して、蘇生にとっても時間がかかりました。
そうこうしてるうちに23歳で結婚。
結婚しても個性は貫くつもりでいたけど、母になった自覚を持った日から、又普通のお母さんに戻る事にしました。
多分、顔が普通なので普通が似合う事に気がついたし、環境に順応したとも言います。
産後の髪は、よりうねりを伴い、なりたい髪型にならず、母になると女を諦めるのか?と思ったりもした。
忙しいのと、お金も無いの両方。
でも、諦めたくは無かったのです。
それもあり、まだまだ子供は小さいけどもパートからフルタイムに戻る事になり、ヘアケアに妥協しない生活を復活しました。
そして27歳の時、私の髪質を変えたシャンプーに出会う。
その頃から、自分の髪質に合ったシャンプー剤大切!が始まったのです。
シャンプーを変えただけで、ツヤとハリが戻って
、私まだ女性に戻れるってテンションが上がりました。
美しく生きるってその時決めた訳じゃ無い、私に戻れるって思えた事がきっかけでした。